完璧主義は「美徳」ではない――自己肯定感の問題ではなく、システムバグとして修正する

フェーズ1:認知バグ修正と罪悪感の消去

はじめに:完璧主義のSatsuki式定義

かつての私は、明確な不調を感じながらも、立ち止まることができませんでした。
「まだやれる」
「大したことはない」
そう自分に言い聞かせながら、働き続けていたのです。

私を動かしていたのは、
「完璧でなければ、存在してはいけない」
という、極端で無自覚な内部コードでした。

他人から見れば十分すぎる成果を出していても、自分の中では常に未達成。
結果を出せば出すほど基準が上がり、満足は一切得られない。
「他人の期待には120%で応えるべき」という独自ルールが、そのループをさらに加速させていました。

今振り返れば、これは性格でも努力不足でもありません。
思考システムが、破壊的な設定で稼働し続けていただけでした。

Satsuki式では、完璧主義をこう定義します。

完璧主義とは、美徳ではなく
生存戦略として埋め込まれた、燃費最悪のシステムバグである

この記事では、完璧主義を「心の問題」として扱いません。
ロジックとして分解し、修正可能なコードとして扱います

完璧主義が生まれる論理構造

自己評価システムに埋め込まれた「二値論理」

完璧主義の正体は、自己評価の初期設定にあります。

幼少期、
・成果を出したときだけ評価される
・従順であることが安全だった
・「ありのまま」は歓迎されなかった

こうした環境では、自己評価は次の形式で固定されます。

バグコード:
「100%達成=価値あり /  未達成=価値ゼロ」

評価にグラデーションが存在しません。
0か100か。存在か無価値か。
この二値論理が、完璧主義の核です。

過剰デバッグによる燃費破壊

もともと分析・改善に強い思考特性を持つ場合、
このバグはさらに危険になります。

自己に向けられたデバッグ機能は、次の状態を生みます。

・99%でも「エラー」と判定
・1%の欠損を探し続ける
・完成しても常に修正対象

ここで起きているのは、致命的な資源配分ミスです。

99% → 100%に上げるためのコストは、
0% → 99%にするコストを遥かに上回ります。

成果は1%しか伸びないのに、
消費リソースは2倍、3倍と膨張する。

これは努力の問題ではありません。
構造的な赤字運用です。

完璧主義を修正する3つの介入コード

感情で「やめよう」としても、このバグは止まりません。
必要なのは、論理による上書きです。

介入コード①:「80%完了」を基準値として強制登録する

完璧主義は、100%を前提にします。
その前提自体を書き換えます。

再定義ルール

  • 命に関わらないタスクは、80%で完了
  • 80%=実用可能
  • 100%=コスト割れ

80%到達時点で、
「一旦完了」という強制トリガーを引きます。

残りの20%に使うはずだったリソースは、
次の80%、または回復に回す。

これは妥協ではありません。
生存率を最大化する合理的運用です。

介入コード②:他人の評価を「データ」として分離する

完璧主義は、外部評価を自己価値と誤結合させています。

この接続を切ります。

処理手順

  • 他人の意見は「相手の環境設定・主観データ」
  • 自分の価値とは別フォルダに保存
  • 評価=参考情報、判断材料の一部

ここで重要なのは、
「気にしない」ではなく
「評価系統を物理的に分離する」ことです。

介入コード③:KPIを「成果」から「燃費」に切り替える

最後に、評価軸そのものを反転させます。

新KPI

  • 成果量ではなく、思考の摩擦量
  • 疲弊=失敗
  • 余力=成功

完璧を目指して消耗した日は、KPI未達。
80%で終え、余裕が残った日はKPI達成。

この再定義により、
自己犠牲は「努力」ではなく
KPIを阻害するエラー行動になります。

バグ修正後の「除雪車」

完璧主義を手放すことは、能力を捨てることではありません。

それは、
機能特化した除雪車を、砂漠で空回りさせるのをやめる
というだけの話です。

適切な場所で、
必要な出力だけを使い、
長く、安全に稼働させる。

それが、Satsuki式フェーズ1における
「完璧主義バグ修正」の目的です。