はじめに:行動が静かに変質していく
異常は、ある日突然やってくるわけではない。
ほとんどの場合、それは「いつもの自分」の延長線上に、静かに混ざり込む。
当時の私は、自分の行動を疑っていなかった。
考え方も、判断も、行動も、「いつも通り」だと思っていた。
違っていたのは、行動の目的だった。
私は無意識のうちに、
・考え続けること
・感じ続けること
・止まらない内部ノイズ
これらを外部刺激で強制停止させる設計へと移行していた。
異常①:激辛への異常な欲求
私はもともと辛いものが得意ではない。
甘いものを好み、刺激は最低限で十分だった。
それが次第に、
- 辛いお菓子
- 辛い珍味
- 一味唐辛子の追加
- そして最終的には、乾燥唐辛子をそのまま口に運ぶ
という段階を踏んでいった。
重要なのは、「辛かったかどうか」ではない。
刺激を入れないと、内部が沈黙しなかったという点だ。
この時点で、感覚はすでに鈍化していた。
刺激は感じにくくなり、必要量だけが増えていく。
ロジカルOS視点で見る「刺激依存」
刺激とは、本来「変化」だ。
しかし内部処理能力が低下すると、変化は麻酔として使われ始める。
強い刺激が入る
→ 内部ノイズが一瞬止まる
→ 「静かになった」という錯覚が起きる
→ その方法だけが記憶される
このループが回り始めると、
刺激は楽しむものではなく、止めるための装置になる。
異常②:休日の過食という反動処理
勤務日は、ほぼ食べなかった。
作業を止めたくなかったからだ。
しかし休日になると、
気づけば何かを口に運んでいる状態が常態化していた。
これは「食欲」ではない。
抑圧されていた処理が、一気に溢れただけだ。
結果として、
- 勤務日は削る
- 休日に補填する
- 体重と体調が乱高下する
という極端な二極化が起きていた。
異常③:飲酒量の増加と「思考停止目的化」
私は元来、日常的に酒を飲む人間ではなかった。
理由は単純で、思考が鈍るのが嫌だったからだ。
それがこの頃は違った。
- 飲まないと眠れない
- 思考が止まらない
- 静寂を得るための手段として飲む
ここでも目的は「快楽」ではない。
停止だ。
処理しきれない思考を、
外部からの負荷で強制終了させていた。
なぜ異常に気づけなかったのか
答えは単純だ。
異常を検知するセンサー自体が、先に壊れていたから。
判断力、違和感、ブレーキ。
それらはすべて「余力」があって初めて働く。
余力が尽きると、
人は「壊れている状態」を基準値として生き始める。
チェック:それは「いつもの自分」か?
以下は、当時の私にすべて当てはまっていた項目だ。
- 強い刺激がないと落ち着かない
- 仕事日と休日で行動が極端に違う
- 食べる・飲む目的が「楽しみ」ではない
- 思考や感情を止めるための行動が増えている
もし当てはまるなら、
それは性格でも意志でもない。
処理系が限界を超えているサインだ。
終わりに:これは「癖」ではなく構造の問題
当時の私は、自分を責める視点しか持っていなかった。
だが今なら分かる。
これは根性論でどうにかなる話ではない。
設計の破綻だ。
まずは気づくこと。
「いつもの自分」という言葉を疑うこと。
そこから、再構築は始まる。

