強がりをやめる勇気:自己犠牲を「未来の負債」として停止するSatsuki式自己肯定論

Satsuki式マインドセット

はじめに:強がりをやめる勇気

「寒い日には震えて、雨の日には濡れ、雷には怯える」

これは人間として当たり前の事実です。しかし、うつ病から回復を目指す私たちは、この当たり前の事実を否定する強がりを続けてしまいます。

「大丈夫」「平気だよ」と笑うたびに、私たちの脳は疲弊し、回復に必要なエネルギーは失われていきます。

強がりは長期間にわたり『正しい』と信じ込まされてきた自己防衛の仕組みです。私も自分が感情の二重処理をしていることにさえ気づかず、ただ疲労が蓄積する現状を受け入れていました。この気づきこそが、回復への第一歩です。

この記事では、「感情の事実をそのまま認める」ことが、回復への最も論理的で責任ある選択であることをお伝えいたします。

「平気なフリ」は最大のコスト:当たり前の感情の偽装が引き起こす脳の過負荷

強がりが回復を妨げる最大の原因は、「感情の偽装」が脳に過度な負荷をかけるからです。

これは、前回までにお伝えした「思考の交通整理」の原則と全く同じです。

  • 感情の二重処理による交通渋滞
    あなたの体は「寒い」という一次感情の事実を脳に送っています。それに対してあなたは「寒くない」という偽装(二次感情)でそれを打ち消そうとします。脳は、「寒い」という事実「寒くないという嘘」の二重の信号を同時に処理することを強制され、思考の交通渋滞(脳の過負荷)を瞬時に引き起こします。
  • 論理的なコスト高
    この強がりの行為は、あなたの回復に必要なエネルギーを無駄に浪費する「不採算事業」です。「寒い日には震える」という人間として当たり前の事実を否定し続ける行為こそが、あなたの回復を最も妨げているのです。

うつ病になるまでの間に、この感情の偽装を無意識に、もしくは「仕事だから」「私が責任持ってしなければ」と責任感によって行い続けていた結果、私たちの脳に極度の負荷がかかり続けていたのです。

Satsuki式:「弱さ」を論理的に認める3ステップ

強がりをやめることは、感情的な問題ではなく、「脳のエネルギー管理」という論理的な仕組みの問題として解決できます。

ステップ1:感情の「Yes/No」判定をデータとして客観視する

感情を「好き/嫌い」や「ポジティブ/ネガティブ」で捉えるのをやめ、「今、この瞬間にエネルギーが消耗しているか(Yes/No)」という論理的なデータとして客観視します。

  • ルール
    理由を明確に探す必要はありません。「なんとなく疲れている」「なんとなく気分が悪い」という感覚こそが、脳から出ている「エネルギー残量低下」の警告信号です。この信号を素直に「Yes(疲労している)」と認識し、強がりを停止します。

「なんとなくこの人に会うと疲れるな。でも○○だから」と理由をつけて相手に合わせるようなことは感情の二重処理です。

「今、この人に会うこと」がエネルギーを消耗しているか?
「Yes(疲労している)」

これを明確にするのが大事です。ここで「どうして疲れるのか?」を探る必要はありません。

ステップ2:自己犠牲をしないことが「責任」だと論理的に定義する

感情的に「わがままではないか?」と感じるかもしれませんが、これは「回復という最大の責任を果たす」ための行動です。

  • 自己犠牲は「未来の負債」
    「嫌なこと」や「無理」を今引き受けることは、将来的にあなたの体調を悪化させ、周囲にもっと大きな迷惑(負債)をかけるリスクを高めることに繋がります。
  • 論理的な責任の遂行
    従って、今の無理を断り「エネルギーを温存する」ことは、「未来のあなたや周囲への迷惑を最小限に抑える」という最も論理的で責任ある行動になります。

この認識に基づき、「未来の責任を果たすために、今は休息を選びます」という論理で自己申告します。

仕事でもそうですが、休職中・退職済みの方のプライベートにも同じことが言えます。

「今日はきつい。でも知人から誘われている外出がある。」という場合、自己犠牲で外出を選ぶとします。その結果、外出先で更に体調が悪くなったり、翌日以降にぐったりと動けなくなったりして、結果的に知人や奥さんにもっと大きな迷惑や心配をかけてしまうということも考えられます。

長い期間で見ると、私の場合は長年に渡って自己犠牲を無意識や責任感でやり続けた結果、3年経っても完治しない病気に自分を追い込みました

ステップ3:最小限の自己肯定=「事実」で承認する仕組みを作る

自己肯定感を「感情」ではなく「事実」で積み上げる仕組みを作ります。

  • 「塵レベル」の承認
    「完璧に全てできた自分」ではなく、「今日の目標(塵レベルの行動)を達成した自分」を論理的に承認します。
  • 「論理的に当たり前」の承認
    あなたにとっての自己肯定とは、「私は今、疲れている。それは論理的に当たり前だ」と、体や感情の事実をそのまま受け入れることです。雨の日に濡れるのは当たり前です。雨の日に濡れたからと言って自己嫌悪に陥ったり、濡れてないふりをする必要はありません。

私たちはうつ病と闘っています。それで体調が安定しないのは「当たり前」です。体調が安定しないからと自己嫌悪に陥ったり、体調が安定しているように振る舞う必要はありません

その体調が安定していない中で、「ドアを開けて外の空気を吸った」「太陽に10秒当たった」のは良いことです。

状況を客観視して、その中の自分を認めることが重要です。

強がり卒業後の人間関係:「弱い自分」を論理的なシールドにする方法

強がりをやめると、人間関係に不安を感じるかもしれません。しかし、あなたの「弱さ」(体調の不安定さ)は、逆に人間関係における論理的なシールドになります。

  • 論理的な自己開示
    自分の体調やエネルギーの限界を、感情的ではなく論理的な事実として相手に伝えます。これは、「人間関係の交通整理」における過度な期待を排除する「論理的なシールド」になります。
  • 何を最優先しているかを明確化
    自分の体調が事実として不安定であることを理解してもらうことで、他人の評価ではなく、自分の回復を最優先する関係性を築くことができます。

私はこれをせずに仕事を長年続けてきました。その結果、「あいつに頼んだら、なんでも成功させてくれる」という過度な期待を背負うことになりました。「ミスターパーフェクト」と呼ばれるようになりましたが、その裏には私の大きな自己犠牲がありました。

本当の状況は「無理をし続けているのだから、きつくて当たり前。」でした。

それなのに「まだできる。きつくない。」「自分はまだできる。」と感情の二重処理を無意識(習慣)と責任感で続けました。

実際、「きつい」「疲れた」という言葉を口にすることを嫌っていました。その言葉が出そうになると、ぐっと飲み込んだり、「きつぅ・・・くない!」と否定したりしていました。

まとめ:「強がりをやめる勇気」は、回復への最も論理的な近道である

「寒い日には震えているのは当たり前」という事実を、私は受け入れる必要がありました。

強がりをやめることは、わがままや弱さではありません。それは、あなたの回復という、未来への責任を果たすための最も論理的で賢明な選択です。

強がりという不採算事業を停止し、回復という最大の資産に投資を始めましょう。

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