なぜ、あなたは休むことを「悪」だと感じるのか?
「疲れたから休む」というシンプルな行動が、なぜ私たちにとっては極めて困難なのでしょうか?
どれほど体が悲鳴を上げても、「まだ大丈夫」「みんなもっと頑張っている」「休むには代償が必要だ」という罪悪感がブレーキをかけます。そして、休息や趣味、自分へのご褒美といった行動を、「コスト(資源の浪費)」として認識してしまう思考のバグを抱えています。
勤務時代、上司に「休め」と言われた時、私は迷わずこう答えました。「私が休めばみんなに迷惑がかかる。みんなが苦労していると想像しながら休むくらいなら、出勤していた方が気が楽です。」
私の本心から出たこの言葉、そして「自分が頑張れば、周りは苦労せずうまく回る」という考えこそが、私をうつ病という『論理的な燃料切れ』へと追い詰めた、最も危険な思考のバグでした。
この考えは、その頃一時的なものではなく、おそらく私の基本設定の中に入っている考えだったと思います。
私たちは、自己のエネルギー(体力、時間、集中力)という最も有限で貴重な資源の価値を認知できず、まるで無限の資源であるかのように酷使し続けているのです。このバグが、うつ病という論理的な燃料切れを引き起こす根源となります。
問題の定義:自己価値を支配する「コスト免除券」
私たちが休むことを許せないのは、「自分の存在=コスト」という生存コードがインストールされているからです。
このプログラムを持つ人は、休息や幸福を享受するためには、それを上回る成果や貢献という「免除券」が必要だと無意識に考えています。
コスト免除券のメカニズム
「Satsuki式 コスト認知の正常化」とは、この「コスト免除券」という思考回路を解体し、自己のエネルギーを金銭的な成果とは切り離した、最も価値の高い『資源』として正しく評価し直すプロセスです。
正常化のための論理ステップ:3つのルール
機能特化CPUである私たちには、感情論ではなく、論理的なルールでしか思考のバグを修正できません。以下の3つのルールをインストールします。
ルール 1:エネルギーの「有限性」のインストール
自分のエネルギー残量を、ゲームのHPバーのように可視化し、「無限ではない」という大前提を脳に再インストールします。
これは、私はうつ病になって動けなくなって初めて適用されるルールになりました。
それまでは、動けるのが当たり前。仕事なのだから、「120%の力で向き合うのが当然」という発想でした。そのため、動ける限り「ギリギリまで頑張る」が基本設定だったのです。
ルール 2:休憩を「コスト」ではなく「必須メンテ」と再定義
休憩は損失(コスト)ではありません。それは、高性能なCPU(自分)のパフォーマンスと寿命を維持するための「必須メンテナンス」であり、未来の自分への「投資」です。
私にとって、休憩は「仕事の遅れ」でしたし「楽をしている」という感覚でした。そのため、昼休憩も
「その間に自分が対応すべき事案が起きた場合、対応が遅れてしまう」=「周りに迷惑がかかる」
という発想でした。そのため、1時間の昼休憩もおにぎりを口にほおばり食べ終わったらすぐに仕事に戻るというルーティンにすぎませんでした。
ルール 3:「自己決定の許可」システムの導入
「誰かの許可」や「休む理由」を必要とする外部認証を停止します。
実践:論理を組み込むための具体的運用方法
- 「生産性ゼロ時間」をスケジュールに組み込む
意図的に何も生産しない時間(例:ただ座ってぼーっとする、音楽を聴く)をスケジュールに組み込みます。これは、CPUを「高速アイドル状態」にし、思考の燃費を強制的に改善する訓練です。この時間は、「最も重要なメンテナンス経費」として認識します。 - 自己投資としてのコスト計上
趣味やリラックス(映画、食事)にかかる時間や費用を「浪費」ではなく「自己再構築のための重要経費」として、論理的に計上します。
ポイント
「自己投資」として認識することで、罪悪感という負の感情の発生を防ぎます。
客観的に見れば、メンテナンス無しで工場の機械を動かし続けることは、長期戦略としては馬鹿げています。
その『経営戦略』としての正しい思考を、自分自身に今日から、躊躇なく、強制的に取り入れるのです。
結論:コスト認知の正常化が、あなたを自由にする
コスト認知を正常化することは、罪悪感に追われる人生から、自分を大切にする論理的な人生へと切り替えるための、最も重要なマインドセットです。
あなたの有限なエネルギーを正しく評価し、論理的なメンテナンスを施すことこそが、うつ病の再発を防ぎ、人生の長期的なパフォーマンスを維持する唯一の方法です。
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