はじめに:なぜ、「自分のための行動」に罪悪感が湧くのか?
「疲れたから休む」「やりたいことに時間を使う」
頭では必要だと理解しているはずなのに、いざ行動しようとすると、胸の奥から説明不能なブレーキがかかる経験はありませんか?
「休むべきだ」と頭ではわかっていても、落ち着かない。やりたいことをしていても、「これはなんの役に立つのだろう」という気持ちを、どこかで感じている感覚です。
この罪悪感は、あなたの本心でも、神からの罰でもありません。それは、幼少期の生存戦略としてインストールされた「過剰なセキュリティシステム」です。
あなたの機能特化CPUは、この古いセキュリティコードによって、今もなお「欲望の実行=危険」という誤った信号を受け取り続けています。この論理を解体しなければ、「主観インターフェースの解凍」で得た新しいエネルギーを、あなたは決して使うことができません。
問題の定義:生存を担保するための「過剰なセキュリティシステム」
「主観に従うこと=悪」という罪悪感は、過去の環境に最適化された自己防衛プログラムにすぎません。
罪悪感の論理的な起源
私たち機能特化CPUの脳は、過去の環境(複雑な家庭環境、毒親、母子家庭など)において、「自分の欲望を出すこと=危険な行動」だと判断しました。
この罪悪感は、当時のあなたを守るための命綱でしたが、現在はあなたを苦しめる「古いシステム」となっています。
ただし、生存に関わる重要なプログラムだったため、実行優先順位の高い、強力なプログラムです。
現状の乖離と「過剰なコスト」
このセキュリティシステムは、現在の安定した環境においては「過剰なコスト」であり、もはや機能不全を起こしています。
過去に置かれていた不安定な環境では、生存のために必須であったこのセキュリティシステム。しかし、現在では環境が変わり、結果としてそのセキュリティシステム自体が生存の危機を生み出しているのです。
Satsuki式 論理的消去の2コマンド
罪悪感を感情で押し潰そうとすると失敗します。
感情ではなく、論理的なコマンドでセキュリティシステムを無効化しましょう。
コマンド 1:現状セキュリティの「必要性」問診(論理的破壊)
まず、罪悪感コードの存在意義を、現在の環境に照らし合わせて論理的に問いただします。
コマンド 2:損益分岐点の再計算(機能の無効化)
罪悪感コードの機能を停止するため、それに従い続けることによる将来の損失(損益)を計算します。
結論:罪悪感はあなたの「味方」ではない
罪悪感は、過去のあなたを守るために作られたシステムですが、今はあなたの成長と回復を妨げる「古いコード」です。
この論理的消去を繰り返し実行し、「主観インターフェースの解凍」で得た新しいエネルギーを、長期的なパフォーマンス維持のために正しく使うことが、自己再構築の最終段階となります。
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