この言葉は、とても優しい顔をしています。
でも私は、20年近く、その意味を真逆に受け取って生きてきました。
同じ言葉でも、
どう解釈するかで、人はまったく違う行動を選び続けます。
これは「努力の話」ではありません。
設計思想を誤解したまま、人生というシステムを走らせ続けた話です。
初めて入った会社という「異常環境」
大学を卒業し、最初に入社したのは営業会社でした。
完全実力主義。年齢も社歴も関係ありません。
朝は10時朝礼。
ただし実際は、準備と練習のため9時前には全員が揃っていました。
外回りから戻るのは夜22時前後。
そこから日報、翌日の準備、練習。
帰宅は日付が変わることも珍しくありません。
今思えば明らかに異常ですが、
当時の私には比較対象がありませんでした。
母子家庭で育ち、
周囲に「会社員の標準モデル」がなかったからです。
ただ一つ言えるのは、
密度だけは異常に高い環境でした。
同級生との再会で生じたズレ
入社した年のお盆休み、
大学や高校の同級生と久しぶりに集まりました。
彼らはこう言います。
「やっと会社に慣れてきた」
「初めて一人で仕事を任される」
私は、言葉を失いました。
その時点で私は、
すでに5人の部下を持っていました。
年上の部下も含めて、です。
自分がすごいとも思わない。
相手が劣っているとも思わない。
ただ、同じ時間軸にいないことだけは、はっきり分かりました。
「頑張れば評価される」という設計思想
その後も私は走り続けます。
結果を出せば、
上司が部下になり、
給料が上がり、
ポジションが上がる。
期待される。
必要とされる。
応え続ける。
それは誰かに強制されたものではありません。
自分で選んだ稼働モードでした。
1日16時間稼働。
休日も実質稼働。
異常だと認識する余地はありません。
この時点で、
私の中では一つの思想が完成していました。
「期待に応え続ければ、自分の存在は保証される」
渡された一枚のカード
ある日、先輩から一枚のカードを渡されました。
にっこり笑うお地蔵さんと、
そこに書かれていた言葉。
「あなたの代わりは 誰もいない」
先輩は何も説明しませんでした。
ただ、静かに微笑んでいました。
今なら分かります。
おそらく伝えたかったのは、
「そんなに無理をするな」
「自分を大事にしろ」
という、ごく当たり前のことだったはずです。
私がしてしまった致命的な誤読
当時の私は、この言葉をこう受け取りました。
「代わりがいないほど、有能で万能な存在になれ」
それは、
誰かを出し抜こうとか、
会社を属人化させようとか、
そういう意図ではありません。
ただ純粋に、
その一心でした。そこから先は、加速しかありません。
努力の積み重ねが生んだ「再現不能な成功」
私は考えました。
工夫しました。
試しました。
時間も体力も、使えるリソースはすべて投入しました。
「他の人には難しいかもしれない。
でも、自分ならできるかもしれない」
その信念のもとで、
無理だと言われたことも、
前例のないことも、
一つずつ形にしていきました。
結果として、
任務は成功します。
成果も出ます。
評価もされます。
意図せず生まれていた構造
ただ、私が去った後、
同じことを同じ形で再現できる人はいませんでした。
仕事は複数名体制に再編され、
プロジェクトが止まることもありました。
それは、
私が「回らなくしたかった」からではありません。
私が全力で成功させた結果、
そのやり方が“私専用”の構造になっていた
ただ、それだけのことです。
信じてしまった価値観
それでも私は、
こう思ってしまっていました。
「自分が抜けると回らない」
「それは、自分の価値の証明だ」
努力の結果として生まれた状況を、
いつの間にか
自己肯定感の根拠にすり替えてしまっていたのです。
自分のシステムが
強制停止するまでは。
本当の意味でのコード修正
冷静に考えれば、答えは最初から出ています。
会社は回ります。
誰が抜けても回ります。
どれだけ重要な人物がいなくなっても、
世界は止まりません。
止まるのは、
自分の人生だけです。
人生というシステムの「責任者不在」
私は、仕事では責任者でした。
でも私の人生には、責任者が不在でした。
代わりがいる船の舵を必死に握り、
代わりのいない自分の人生の舵は放置していた。
この構造に気づくまで、
20年かかりました。
終わりに
「あなたの代わりは誰もいない」
この言葉は、
頑張れという命令ではありません。
「あなたの人生の責任者は、あなただ」
という、
静かな事実の通知です。
気づけたなら、
修正は可能です。
まだ、舵を取り直す時間は残っています。

