味がしない日々を支えたもの──「お気に入りのマグカップ」と回復の小さな種

フェーズ1.5:リソース管理と燃費改善

生きているだけで限界だった時期

療養初期。
正直に言えば、生活できていること自体が奇跡のような状態だった。

起きて、また横になる。
それだけで一日が終わる。

この頃、食べ物の味がほとんどしなかった。
ただ、それにすら気づいていなかった。

五感全体が、ゆっくり鈍っていったからだと思う。
妻が体を気遣って作ってくれた食事を、
「栄養」と「気遣い」として摂取している、そんな感覚だった。

味が戻る瞬間は、突然やってくる

少し調子が戻ってきたある日。
森永製菓のダース(ミルク)を食べた。

——驚くほど、おいしかった。

前から好きなお菓子だった。
でも、その日は「異常なほど」おいしかった。

思わず、
「チョコレートがおいしい!」
と、変なテンションで妻に伝えてしまい、若干引かれた。

あれはきっと、
感覚が戻る瞬間だったのだと思う。

回復は、いつも唐突だ。

とにかく、喉が渇く

食欲はない。
でも、喉だけは異様に渇いた。

働いていた頃は、
500mlの水筒を一日かけて飲み切る程度だった。

それが療養に入ると、
30分に一杯のマグカップというペースになる。

一杯約300ml。
多い日は20杯近く飲んでいたと思う。

量としては異常だ。
でも、その頃は「すべてが異常」だったので、気にもしなかった。

水を飲むと、
ほんの少し、落ち着く。

理由は分からなくても、
体が求めている行動だったのだと思う。

水は、低燃費でシステムを落ち着かせる

後から知ったが、
水を飲む行為は、システム的にも理にかなっている。

  • 自律制御を“休止モード”に寄せる
  • 情報処理の基盤を支える
  • 心拍・呼吸・緊張を一段下げる

冷たい刺激より、
常温や白湯の方が負荷は少ない。

私は意図せず、
一番燃費のいい方法を選んでいた。

お気に入りのマグカップが視界にある意味

その水を、
私はいつも同じマグカップで飲んでいた。

元気な頃から使っていた、
「弱虫ペダル」のマグカップ。

部屋の中を歩くのも大変な時期。
妻が、マグカップが空くたびに水を注いでくれた。

結果、
そのマグカップは一日中、視界に入る存在になる。

動けない時期、
人が触れるもの・見るものは極端に少ない。

だからこそ、
そのわずかな領域に“好きだったもの”があるかどうかは、
想像以上に大きい。

「好きだった記憶」は、消えていなかった

その頃の私は、
それを「お気に入り」だと認識していなかった。

でも、そのマグカップは確かにそこにあった。

それは、

かつて、自分に好きなものがあった
という事実の、物理的な証拠

だった。

ある日ふと、
「これ、好きだったな」と思い出す。

その瞬間に生まれる力は、
本当に小さい。

でも、回復期には
その小ささこそが貴重だ。

回復は、大きな決意から始まらない

回復は、
「よし、頑張ろう」では始まらない。

  • 水を飲めた
  • 触れるものが嫌じゃなかった
  • かつての“好き”を一瞬思い出した

その積み重ねが、
ある日「ダースがおいしい」に変わる。

お気に入りのマグカップを手元に置くことは、
その日のための、最も優しい準備だ。

フェーズ1.5としての結論

  • 水分は、最小コストで効くリソース
  • 感覚刺激は、少ないほど良い
  • お気に入りは、思い出せなくても意味がある

回復は、
砕けた力の屑を、静かに集める工程だ。

その最初の一粒は、
意外なほど身近なところにある。