その人は本当にステークホルダーか?」──ロバの寓話で切り離す〈他人軸〉という設計バグ

フェーズ1:認知バグ修正と罪悪感の消去

私は、ずっと「他人の仕様」で生きてきた

私は長いあいだ、
「人の期待に応えること」
「どう思われているかを最優先にすること」
を、生きるための前提条件として採用してきました。

それは、与えられた環境の中で生き延びるために必要な最適解だったのだと思います。
問題は、その判断基準が自分自身にすら可視化されていなかったことでした。

他人の期待に合わせて下した判断なのに、
・自分で決めた
・自分が望んだ
と、認識を書き換えていた

今振り返ると、私の深層では常に「我慢」が実行され続けていました。

ただ私は、「環境のせいにする」という発想を極端に嫌っていたため、その歪みに気づかないまま走り続けていたのだと思います。

なるべくして、システムは限界を迎えた

だから今では、
「いつか限界が来ることは避けられなかったのかもしれない」
と考えています。

これは自己否定ではありません。
設計上の必然としての理解です。

発症後、私は自分の人生を「他人軸」から「自分軸」へと再構築する作業を続けてきました。
それは生き方の修正であり、同時に、深層に埋もれていた自分の仕様を掘り起こす工程でもありました。

たぶん、多くの人は思春期に通過する作業なのでしょう。
ただ、私の人生では「今」がそのタイミングだった。それだけの話です。

そして出会った、一つの寓話

私は、本が好きな子どもでした。
同じ本を何十回も読む性格です。だから、この話を「忘れていた」とは考えにくい。

それでも、大人になるまで出会わなかった寓話があります。

ロバを売りに行く親子の話

父と息子が、ロバを売りに市場へ向かう。
ただそれだけの、シンプルな目的を持った旅です。

しかし彼らは、道行く人の意見を聞くたびに行動を変えていきます。

・「ロバがいるのに歩くなんて無駄だ」
・「年寄りを歩かせるなんて無礼だ」
・「子どもを歩かせるなんてひどい」
・「二人で乗るなんて残酷だ」
・「ロバを担ぐなんて馬鹿げている」

すべてに応えた結果、
彼らは目的を失い、ロバも失いました。

私は、この話をこう解釈した

よくある教訓は
「周囲に振り回されるな」
「目的を忘れるな」
でしょう。

でも、私が最初に感じたのは、もっと冷たい事実でした。

結局、何をしても文句は言われる。

通りすがりの人たちは、
・責任を取らない
・結果を引き受けない
・数分後には忘れる

それでも、言葉だけは投げてくる。

損をしたのは親子だけで、
周囲の人間は何も失っていない。

「ステークホルダー錯覚」という設計バグ

私の人生も、これに近かったと思います。

母、教師、上司──
私の意思決定に強く影響する人たちを、私は無意識に「ステークホルダー」として扱っていました。

表面上は従順。
内側では微調整。

「あなたの案は採用します。
ただし、実行方法はこちらで最適化します」

このスタンスで、私は多くの目標を達成してきました。
だからこそ、この構造に疑問を持たなかった。

しかし、ここには致命的な欠陥があります。

最後に責任を負うのは、常に自分だけ

どれだけ配慮しても、
どれだけ期待に応えても、

壊れたときに責任を取るのは自分だけです。

私は倒れました。
そして当然、誰も責任をとってくれることはありません。

重要なのは、
「他人の意見を聞くな」ではありません。

  • その人は通りすがりか
  • 本当に人生の利害関係者か
  • その人は結果に責任を持つか

この切り分けを、論理的に行うことです。

対人防衛の第一歩

人生は、あなた一人のものです。

環境によっては、優先すべきステークホルダーが存在する場面もあります。
医師、配偶者、法的責任者など。

しかし、それ以外の意見まで無条件で採用する必要はありません。

最後に責任を負うのが自分である以上、
意思決定の主導権も自分に戻す必要があります。

その訓練こそが、
自分軸を取り戻し、再発を防ぐための確かな基盤になります。