はじめに:問いは「誰のせいか」では終わらなかった
「なぜ、私はあそこまで頑張ってしまったのだろう。」
立ち止まったとき、最初に浮かんだのは原因探しでした。
出来事、人物、環境。
怒りが湧き、思考が回り、しかし何も解決しない。
考え続けるうちに、問いは一段階深くなります。
「なぜ、あの環境で限界まで耐える選択をしたのか。」
ここから先は、感情論では辿り着けませんでした。
必要だったのは、自分自身の思考の癖を、論理として解体する視点でした。
生きづらさは「性格」ではなく「設計の結果」
自分を振り返る中で、私はある概念に出会います。
アダルトチルドレン、毒親育ち。
重要なのは、これを被害のラベルとして扱わなかったことです。
私にとってこれは、
感情を責めるための言葉ではなく
思考の形成過程を追跡するための分析ツール
でした。
ACという概念を「論理フレーム」として使う
ACとは、診断名でも性格分類でもありません。
特定の環境で育った結果、合理的に身についた思考パターンの集合です。
子どもに選択肢がない環境では、
これらはすべて、生存確率を上げるための最適解でした。
問題は、それが大人になっても自動実行され続けたことです。
私の場合:分析力が「自分を守らなかった理由」
私の分析力は、幼少期から
「自分を救うため」ではなく
「環境に適応するため」に使われていました。
感情を出すと不利益が生じる。
ならば、感情を処理したことにして先へ進む。
この感情の二重処理は、弱さではありません。
当時の環境では、極めて論理的な防御反応でした。
なぜ気づけなかったのか
異常な環境にいると、人はそれを「基準」にします。
それが世界のデフォルトだと認識してしまう。
だからこそ、
「自分が無理をしている」
「思考が歪んでいる」
この事実に、内側からは気づけません。
気づけなかったのではなく、
気づかない方が合理的だったのです。
概念を「停止スイッチ」に変える
ACという言葉は、
過去を責めるためのものではありません。
「これは、もう採算が合わない思考だ」
と認識するための停止スイッチです。
それらはかつての最適解であり、
今の環境では不採算事業です。
現象と論理をつなぐために
この思考構造は、
現在執筆中の小説
『1/2 四捨五入すれば1』の中核でもあります。
物語は現象だけを描き、
この記事は論理だけを示す。
読者が自分の頭で
「つながった」と気づくための構造です。
まとめ:過去は原因ではなく、設計図だった
過去を知ることは、
苦しむためではありません。
二度と同じ思考回路を自動実行しないための、最も論理的な予防策です。
それは弱さの証明ではなく、
生き延びてきた証拠でした。
今はもう、その設計を更新する段階に来ています。

