論理的エラー:「主観インプット」の強制遮断
私は長年、どの組織にいても
「客観視が得意だ」
「状況把握能力が高い」
と言われ続けてきた。
その評価は事実であり、
仕事においては大きな武器にもなった。
しかしそれは、
健全な強みではなかった。
それは、
自分の主観をインプットすることを禁止する
という、幼少期の生存戦略が生み出した
致命的な思考バグだった。
機能特化CPUの歪んだ完成形
私の思考CPUは、
分析力と観察力を極限まで特化させることで、
を、ほぼ自動的に把握できる。
しかし一方で、
「自分が何をしたいのか」
「何が好きなのか」
という自己認識の領域は、完全なブラックボックスだった。
「趣味は?」
「何が好き?」
「今、何が食べたい?」
そう聞かれても、答えられない。
感情が絡む質問ほど、
思考がフリーズする。
これは能力不足ではない。
意図的に遮断された入力インターフェースの結果だ。
主観は「危険データ」として分類された
私のCPUは、
感情や欲望を
危険なデータ
として扱っていた。
理由は単純だ。
幼少期の体験により、
「自分の感情や欲望を表に出すと、生存が脅かされる」
という結論に到達していたからである。
主観を入力しなければ、
危険な判断は出力されない。
だからCPUは、
主観入力インターフェースを強制的に遮断
するという、生存最適解を選んだ。
欲望と生存危機の強制的な結合
この構造の起点は、
4歳の体験にある。
自分の感情や欲望を表現すると、
母が泣く。
困る。
疲弊する。
そしてそれは、
幼い私にとって
生存危機のシグナル
として認識された。
その瞬間、脳内CPUはこう結論づけた。
主観(欲望)を使う
= 生存リスクが上がる
この論理は、
その後一度も上書きされなかった。
主観が使えない現実的な弊害
実際、
私が最も苦手だった仕事は、
主観を基準にした判断だった。
食品バイヤーとしての試食。
「おいしい」「おいしくない」で決める仕事。
味覚という主観の塊を前に、
私はコメントすらできなくなった。
一方で、
これらを分析する仕事では、
極めて高いパフォーマンスを発揮できた。
私は、
「売れるものを導入しろ」
には対応できるが、
「おいしいものを導入しろ」
には対応できなかった。
外部最適化マシンとしての完成
私の「客観視能力」の正体は、
自己理解を放棄し、
外部に最適化された自分
を作り上げた結果にすぎない。
| 思考機能 | 現実の働き | 呪縛の論理 |
|---|---|---|
| 客観視(外部認識) | 相手の期待や状況を即座に把握 | 迷惑をかけないための生存必須機能 |
| 主観(自己認識) | 欲望・感情が分からない | 危険なインプットを遮断する防衛機構 |
「常に俯瞰している」
と言われる理由は単純だ。
自分の欲望が、最初から存在しない
設定だからである。
論理的結論:主観なき完璧主義の破綻
この構造は、
必然的に完璧主義へと収束する。
しかし、
どれだけ評価されても、
内側は空白のまま。
満足感は一瞬でゼロに戻る。
入力が遮断されている以上、
これは論理的に避けられない結末だった。
Satsuki式・再起動の方法
――論理による主観の解凍
このバグを解消するには、
「主観入力インターフェース」を
再起動する必要がある。
しかし、
感情を危険視するCPUは、
感情的アプローチを拒否する。
だから使うのは、
論理だ。
「思考の交通整理」は、
外部論理でしか動かせないCPUを使い、
ということを、
一つずつ論理的に検証し、
凍結された領域を解凍していく方法である。
「何がしたいか」が分からないなら、
まずは
「何に強い拒否反応が出るか」
から始めればいい。
それもまた、
主観の一部だからだ。

