「1/2 四捨五入すれば1」 第6話:家出

ストーリー

実話性と免責について

本作「1/2 四捨五入すれば1」は、
筆者自身の体験をもとに構成した実話です。

ただし、記憶の整理やプライバシーへの配慮のため、
一部の描写・表現は物語として再構成しています。

本作は、特定の人物や出来事を非難することを目的としたものではありません。
また、思想・医療・教育等を推奨する意図もありません。

読んでいてつらさや違和感を覚えた場合は、
無理に読み進める必要はありません。
必要なところだけ、受け取ってください。


高度経済成長期をオイルショックで終え、その衝撃から復活の兆しがようやく見え始めた時代。
バブル期に向かっていく最中のこの時代は、働けば働くほど給料は増え、いくらでもお金が入ってくる時代だった。

勉強を頑張って有名大学に入って、大企業に入れば裕福な暮らしができる。
終身雇用で定年まで頑張れば、老後は高額な退職金や厚生年金が約束されている。
会社でしっかり頑張ればちゃんと出世ができて、どんどん裕福になっていける。

そういうことが信じられていた時代。
そしてそれが崩れることを、世の中のほとんどが全く想像していない時代だった。
金融緩和もまだ実施される前で、一部の富裕層を除いて投資はさほど一般的ではない。

その時代にあって投資に触れられる機会を持てたのが、砂月にとってラッキーだった。
そして自分も投資など全く分からないながらも、熱心に教え続けた美津子も素晴らしかった。

砂月はどんどん吸収していく。
まだ四歳にもなっていない砂月は、億万長者ゲームのお金の計算を通して足し算と引き算を覚えた。
ゲームで使うおもちゃのお札のやり取りなので、末尾数桁の数字はゼロではあるが、ゼロの前が二桁のものについては自分で計算をできるようになった。

そしてひらがな、カタカナ、簡単な漢字もこのゲームを通して読めるようになった。
毎日毎日同じゲームをするので、止まったマス目の文章を美津子に読んでもらううちに覚え、自分で読みたくなったのだった。

また、ゲームに疲れた美津子は砂月にひらがな、カタカナの書き方を教え、練習をさせた。
新聞と一緒に入ってくるチラシの裏に、砂月は一人で黙々と練習をした。

美津子は家事をしながら、たまに目を向けて砂月を褒める。
砂月は得意げに文字を書き続けるのだった。

その延長で、美津子は掛け算と割り算を教えた。
教えるものがなくなってきたので、できないだろうと思いつつ、教えてみたところ出来てしまった。
それからは砂月が
「なんか、問題だして~。」
と毎日行ってくるので、美津子は問題を考える。

これまたチラシの裏に最初は一桁同士、
日々を追って二桁と一桁、二桁同士と次第に難易度をあげていく。

美津子は英才教育をしたいわけではない。
ただ単に家事をする時間を確保しようとすると、砂月になにかしらの問題を出すのが一番楽な方法だった。

砂月もまた、面白い遊びがないかと思って美津子に新しい問題をねだるだけで、勉強をしている感覚はない。

こうして、いつしか億万長者ゲームをする時間は減り、美津子の問題を解く時間へと切り替わっていった。


砂月は本を読むことも好きだった。

和美は砂月の寝る前に、ほぼ毎日絵本を読み聞かせてくれた。
イソップ物語やグリム童話、シートン動物記がその多くを占めていた。
幼児向け絵本として一般的だった「桃太郎」や「金太郎」などの昔話や、「はらぺこあおむし」などの児童書はない。

それは和美の無知からくるものなのか、他の一般家庭とは違うものを与えているという、ステータスのようなものを求める気持ちからくるものなのかは分からない。

砂月の一番のお気に入りは、「百万回生きた猫」という絵本だった。
この本を読み聞かせてもらう度に、いろんな考えが浮かぶ。
毎日のように読み聞かせてもらい、たくさんのことに思いを巡らしながら眠るのが好きだった。

ただ、ある時からこの本を和美に読んで欲しいとねだることをしなくなった。
和美は読み終わった後、絵本を通して砂月に学んでもらおうと物語の教訓のようなことを話す。

例えばイソップ物語に肉を手に入れた犬が出てくる話がある。
水面に映っている肉を銜えた自分を見て、相手の肉も奪ってしまおうと吠えたところ、水中に自分の肉を落としてしまう。

この話を読むたびに、和美は「欲張りすぎると自分が損をする」という教訓を砂月に伝える。
多くの本では理解できる教訓ばかりだった。
だが、「百万回生きた猫」を読み終わった後の和美の教訓のようなものは、砂月の解釈とは異なっていた。

最初はそういうものなのかと聞いていたが、自分が思いを巡らせば巡らすほど、受け入れがたく感じていた。
そしてついに、砂月は自分が思いを巡らせることの邪魔をして欲しくないと感じ、一人でこっそり読むようになった。

いずれにせよ、砂月はその読み聞かせの時間を楽しみにしていた。
美津子の家に家出する時にも、夜まで和美が迎えに来なくても困らないように、美津子に寝る前に読んでもらう為の短めの絵本を持って行った。

しかし、昼の美津子が家事に追われている時間に、自分で絵本を読むのは好きではなかった。
また、昼の時間に絵本を読んでもらうことも好きではなかった。
砂月の中では、絵本は寝る前に誰かに読んでもらうものと決まっていたのだった。


砂月は昼の時間、一人で本を読んだ。
とは言ってもまだ三歳児。
読める本は限られていた。
砂月用の本は美津子の家にはない。

そして最初に出会ったのは、江美の子ども達が持っている教科書だった。
小学校低学年の教科書は読むことができた。
算数は知っている足し算や引き算がたくさん載っていて、面白かった。
分からないことは台所に行き、美津子に聞けば教えてくれる。

国語の教科書は、絵本と同じ感覚で読める上、絵本より文章が長いので絵本より楽しめる。
知らない言葉は、美津子に教えてもらえば大半は理解できた。

教科書の中で一番砂月の興味を引いたのは、理科の教科書だった。
大半の文字がひらがなやカタカナで書かれていて、美津子の家の庭や買い物の途中で見たことがある虫や花、魚がたくさん書いてあった。


教科書を飽きるまで何度も何度も読んだ後、砂月の興味は百科事典へと移った。
この百科事典は、和美が結婚してまだ子どもがいなかった頃、三兄妹の為に買ってあげたものだった。

植物、昆虫、魚類、動物などの図鑑が四十冊くらいのセットになっており、いろいろなものの写真や絵と共に説明文が載っている。
このようなセット図鑑は、高度経済成長期に流行し、多くの家庭にあった。
図鑑の訪問販売もあったくらい、一般的なものだった。

文字の部分はほぼ読めないとはいえ、多くの写真と名前が載ったこれらの本は砂月の好奇心を満たすにはちょうど良かった。
図鑑でいろいろな植物を覚え、和美や美津子と買い物に行った時には、道や空き地に生えている草花の名前を言うこともどんどん増えていった。


そんな毎日を送っている中、砂月は不思議な体験をした。

その日、砂月は和美の家にいた。
そしてよく分からないことで怒られたので、家出をした。
いつものように必要なものをバッグに詰め込み、美津子の家に出発する。

しかし、この日はいつもと違った。
この日美津子は雄二の病院に行っており、家にはいなかった。
夕方なら三兄妹の誰かが美津子の家にいて家に入れるが、たまたまこの日は時間帯が早く誰も美津子の家にはいなかった。
和美はいつものように砂月が出発したあとに美津子に連絡をするが、誰も電話に出ない。

携帯電話やスマートフォンがないこの時代、家にしか電話はなく、家を離れれば基本連絡をとることはできない。
美津子の家に誰もいないことを一旦は心配するが、誰かが帰ってくるか、誰もいなければ引き返して来るだろうと、和美は砂月を追うことはしなかった。

砂月は美津子の不在を知らず、いつもの道をとことこ進む。
寄り道しながら歩き二十分ほどかけて、美津子の家にたどり着く。

まだ誰も帰っておらず、鍵がかかっている。
(今までこんなことなかったな。)
砂月は鍵を見つめながら思う。

基本的に、美津子が雄二を見舞いに行く日は決まっていた。
前日には砂月にも知らされていたし、
「今日はばあちゃんが見舞いに行く日やけん、月曜、その次は行かん日やけん火曜日やね。」
と、美津子のスケジュールを覚えることで曜日の順番を覚えていた。

そして、この日は見舞いには行かない日のはずだった。


この日は病院から連絡があり、急遽見舞いに行くことになったのだった。
美津子は午前中に和美にも電話をしていたが、和美は寝ていて気付かなかった。
砂月は電話が鳴っているのには気づいていたが、まだ電話には出ないように言われている。

このころの電話は、ナンバーディスプレイなどなく、着信履歴もない。いわゆる黒電話である。
かかってきた時に電話に気付かなければ、連絡をもらったことに気付くことはない。
そんな理由が重なり、砂月が家出を和美に伝えた時も特に止められることはなかった。

三歳児の砂月。
泣き出してもおかしくない状況だが、彼は冷静だった。
(そのうち帰って来るかな・・・。お母さんちに戻るのは嫌だな。)

砂月の家出は、理不尽に怒られたり嫌な扱いを受けたりした時に行われる。この日もいつもと同じように一人で遊んでいたのに、
「もう少し静かに遊ばんね!洗濯ばしよるけん、あっちの部屋で遊んで!」
そう言われたのが理由だった。
砂月は一人で遊んでいたので声は一切出していない。
おもちゃ同士が触れる音はしたかもしれないが、洗濯機の方がよっぽどうるさい。

和美が離婚した後に買った洗濯機は、その時の最新式であった。
美津子も使っているこの時代の一般的な洗濯機は、洗浄槽と脱水槽が分かれている二槽式である。
洗浄が終わると、脱水するための槽に手で洗濯物を移す作業が必要だった。
和美が買ったのはその手間がかからない洗濯機で、洗浄時間設定のダイヤルを回して脱水ボタンを押せば洗濯物を干せる状態まで仕上げてくれる。

和美は洗濯機に限らず、すべてにおいて最新のものが好きだった。
『その機能やものが自分にとって必要かどうか』ではなく、値段が高いもの、その時流行っているもの、みんなが欲しがっているものを好んだ。

周りからの目を気にして、周りが羨ましがるものを一層欲しがった。
高度経済成長期に宗男と共に裕福な暮らしを送っていたせいか、流行りもののブランド品や、最新式の家庭用電化製品などは全部欲しがった。
それを持っていることが自分のステータスだと思っているのだろう。
他の人よりも良いものを持っていること、他の人に羨ましがられること、一番高いものを持っていることが大事だと思っている。

だから、物を買う時はそのシリーズで一番高いものを買うし、二番目に高いものでは満足しない。
この考え方は離婚しても変わらず、この洗濯機のように自分が必要かどうかではなく、一番高いかどうか、一番新しいかどうかを基準に選んでいた。

そんな基準で選ばれた和美の洗濯機は画期的商品ではあったが、音はまだまだうるさかった。
洗浄の際は水がジャバジャバいう音が響き、脱水の際には床が揺れるくらいの振動が伝わる。
この時期ぐらいまでの洗濯機は、屋外に置かれることも多く、音はうるさくて当たり前だった。
美津子の家にある二槽式洗濯機も庭に面した軒下にある。

このうるさい洗濯機が回っているのに、一人で遊んでいる砂月の方がうるさいと怒られるのは、砂月にとって不服なことだった。
仕事の疲れや気分的なものが重なって、近くで砂月が遊んでいることが一時的に疎ましく思えたのだろう。
それは砂月にも分かっているのだが、口に出して反抗してしまうと次の引っ越しでは連れて行ってもらえないかもしれない。

なので、砂月は反抗ではなく家出を選択する。一番平和的な解決方法であった。


家出を決めた時に感じた嫌な気持ちを思い出して、引き返さないと決意した砂月は散歩に行くことにする。

(いつも行かんとこに行ってみようかな。)

いつも歩くのは、和美の家と美津子の家を繋いでいる道と、買い物をするために行く近くの商店街への道が大半だった。

和美にほぼ毎日連れていかれる美容室も、その商店街にある。
和美は忙しいのでそれ以外の場所にはあまり行かないし、美津子は体力的にそれ以上の遠出は頻繁に行くことはなかった。

(商店街を通り抜けて、もっと先に行ったらどんな場所があるっちゃろ。)

砂月はワクワクする気持ちを抑えきれず歩き出す。
近くにある商店街は博多区の中でも大きい商店街だった。
魚屋、肉屋、八百屋、総菜屋、パン屋、豆腐屋、畳屋、お茶屋など、生活に必要なものはすべて揃うような個人商店の数々が並ぶ。
商店街の中ほどには、小さなスーパーもあり、個人商店と共存している。
調味料やレトルト商品などの加工品はスーパーで買い、食材はそれぞれを専門で扱っている個人商店で買うというのがこの地域の生活スタイルだ。

砂月はこの商店街が好きだった。
そこにはいつも元気な声が響き、店主さんとお客さんの笑顔溢れる光景が広がっていた。

店の前を通るだけでも、声を掛けてくれる。
そしてこの日もいつもと同じだった。
「お、砂月ちゃん!今日は一人?どこ行くと?」
いつも買い物をしている総菜屋のおばちゃんだ。
砂月はこの店のイモの天ぷらが大好きだ。
「あっち。今日は一人っちゃん。」
砂月はゆっくり答える。

今の時代なら三歳の男の子が一人で歩いていれば、保護の対象なのかもしれない。
だが、この時代は良くも悪くも大らかだった。
そして砂月が落ち着いて答えたので、総菜屋のおばちゃんも迷子ではないだろうと安心する。
「そげんね。気を付けて行きんしゃい。」

実際砂月は迷子ではない。方向感覚も北が分かるので、迷うことはない。
総菜屋のおばちゃんの後も、魚屋のおじちゃん、八百屋のお姉ちゃんなどと同じような会話を交わし、砂月は商店街を抜けていく。

商店街の端にある駄菓子屋の前まで来て、一度立ち止まる。
「こっから先は、行ったことなかもんね。なんがあるとかいな。」


砂月は進む。
商店街を抜けたこともあり、ビルや一軒家が立ち並び、話しかけてくる人は誰もいない。
少し不安も感じたが、それ以上にワクワクしていた。

気の向く方向に右に左に曲がりながら、砂月は進む。
そして急に広がる空き地。かなり広い。
一軒家であれば八軒くらいは立つだろうか。

この時代の福岡市はまだまだ開発が途上で、古い一軒家が解体され新しいビルが建つということが多くあった。
ドラえもんやのび太が遊んでいるような、工事の着工を待つ土地が多く街の中に見られた。

砂月は近づく。
そこには図鑑で見た花々が咲き乱れる。季節は秋だ。コスモスや彼岸花が一番に目につく。

よく見るとアキノノゲシやリンドウ、桔梗なども咲いている。
(ちかっぱキレイやん。今度ばあちゃんと来よう。)
『ちかっぱ』は博多弁で、「とても」の意味である。
花が好きなのは和美の影響を受けているのだろう。
嬉しそうに空き地を見渡す砂月だったが、ふと違和感に気付く。
(オオイヌノフグリ?)
地面に近い位置に、白と薄い青が美しい小さな花が咲いている。
(春の花じゃなかったっけ?)
オオイヌノフグリは、砂月が図鑑で初めて覚えた花だった。

図鑑に興味を持ち始めたころ、道に咲いていた花を持って帰り、図鑑で調べた。
まったく同じ花が本に載っているのがうれしくて、変な名前だったがすぐに覚えた。
そんな印象的な花を見間違えるわけがなかった。

そして注意して見ると更に違和感を覚える。
タンポポ、菜の花、蓮華草が咲いている。
(載っとったページが違う花が咲いとう。)
この花々が春の花なのかどうかは砂月には分からなかった。
しかし図鑑が季節ごとにまとめられていたので、違和感を持ったのだった。
(変なの。ん?)
その視線の先には蝶がいた。
(モンシロチョウ?)
これも図鑑で得た知識だった。

砂月は昆虫が全体的に嫌いだ。
ただ、種類によって受け入れられるものもある。
蝶やダンゴムシ、アリは、どちらかというと好きな方だ。
クモも築年数が古い美津子の家にはしばしば出てきていたので、嫌いではない。
体の作りがシンプルなショウリョウバッタはかろうじて触れることができる。

これ以外の虫は全般的に駄目だ。
男の子に人気なセミ、カブトムシ、クワガタムシなどは、触ることもできない。
砂月に言わせると体の仕組みが理解できないので、怖いらしい。

『怖い』という感情の根源は3種類あると私は勝手に思っている。
一つは、その存在や成り立ちが理解できないことからくる恐怖。
お化けや幽霊がこの類だと思う。

その存在自体が意味不明な場合、人は恐怖を感じる。
『お化け』という、なにをされるか分からないもの、どう成立しているか分からないものは『怖い』。
それは、犬が怖い人にも当てはまるかもしれないし、AIが受け答えしてくるのを怖いと感じる場合もこれにあたる気がする。
大昔の人々が山などの自然に畏怖を感じていたのもこれに当てはまるのかもしれない。

そして砂月の昆虫嫌いはこれに当てはまる。
どうにも理解できないのだ。

逆に、常日頃モヤモヤしているものが見えている砂月は、お化けの類にはあまり恐怖は感じない。
なので、一般的にお化けと呼ばれているものよりも砂月は蝦蛄が怖い。
和美がたまに煮つけて食べているが、存在が全く分からない。
砂月にとっては、宇宙人だよと言われても納得してしまうくらいの存在だ。

二つ目は、自分に危害を加えてくるということが分かる存在に対しての『恐怖』。
これは肉食獣に感じる本能的な恐怖もあるだろうし、ナイフを持った人が怖いというのはこれにあたる。
さすがの砂月も、お化け自体は怖くないが悪意や殺意を感じるお化けは怖い。
そこにはお化けの類と人間に、大した違いはない。

三つめは、DNAレベルで刻まれた『恐怖』だ。
肉食獣に感じるものは、ある意味これにも当てはまるかもしれない。
それ以上に分かりやすいのが、今現在は危害がないことが分かっているのにそれでも『怖い』と感じるものだ。

言葉にもしたくないのだが、キッチンなどにたまに突然現れる黒いアレに感じるものがこれに当たると思っている。
古代には黒いアレの体長が数メートルあった時代があったという。
そのころの人類はまだ小さく、黒いアレに捕食される側であった。
対抗する術はなく、出会ったら逃げるしかなかった。
その頃の記憶は人間の体内に残っているミトコンドリアのDNA内に情報として受け継がれた。

そのDNAレベルの情報のせいで、殺虫剤などで対抗できるようになり、大きさも逆転したことでなんなら新聞紙やスリッパなどの打撃でも倒せる存在になったのに逃げる。
砂月は黒いアレの倒し方をどれだけ知っていても、逃げるし対峙する心の強さを持ち合わせない。
それは砂月が大人になっても恐らく何一つ変わらない。

DNAにどれだけ濃くこの情報が受け継がれているかは個人差があるので、黒いアレがどうしても無理な人、最初は無理だったが打ち倒した経験で認識を塗り替えることに成功した人、もとから全然怖くない人など個人差が生まれるのだろう。

これは、私の勝手な推測である。
実は黒いアレは昔からあの大きさだったかもしれないし、人類を食べることをしなかったかもしれない。
ミトコンドリアなんて体内に存在しないかもしれないし、DNAにそんな情報は入っていないかもしれない。

ただ、私が一番腑に落ちる推測である。

そんな虫嫌いな砂月にさえも分かるくらい、秋の昆虫、春の昆虫があちこちに見られた。

(季節おかしくない?)

不思議には思うが、目の前にあることを疑うわけにもいかず砂月は謎の花畑を楽しむ。
一通り楽しんだ後、自分が家出中で美津子の帰りを待っていることを思い出す。
(そろそろ戻らないかんかいな。)


どのくらいの時間が経っていたのだろうか。
美津子を心配させてはいけないと、近くにあった大好きな花、オオイヌノフグリを一束摘んで歩き出す。

来た道を間違えることなく商店街に戻り、いつもの道を美津子の家へと歩く。
再び美津子の家の玄関にたどり着くと、鍵は開いており、いつものように美津子が迎えてくれた。

「あら。砂月、家出してきたと?お母さんなんも言いよらんかったけど。」

いつもは砂月が来ることを知らなかったふりをする美津子だが、この日は本当に知らなかった。
和美は砂月が帰ってこないので、美津子がもう帰宅していたのだと思って連絡をしていなかったのだ。
「ばあちゃん、これお土産。」
砂月は左手に握ったオオイヌノフグリの束を差し出す。
「なんこれ?」
差し出された小さな手には、茎が数本。
歩いている間に花びらも葉っぱも飛んでしまい、茎だけになってしまっていた。

「あ、なくなっとお。オオイヌノフグリやったと。」
砂月は家出してからの出来事、不思議な花畑について美津子に話す。
「そうやったと。今日はじいちゃんとこに行っとったけん、ごめんね。でもこれからは、一人であんまり遠くには行かんとよ。」
美津子は砂月の話を聞き、否定をせず最後にそれとなく遠くに行かないように釘を刺した。
「分かった。ばあちゃんと一緒やったらいい?今度一緒に行こう。」
その無邪気な誘いを断るわけにもいかず、美津子は苦笑いを浮かべる。
どれだけ歩くことになるのかと思いやられながら、かわいい孫の願いを聞き入れる。

「いいよ、今度一緒に行こう。道教えてね。
そしたら晩ご飯ば作るけん、待っとって。」

周りはすでに夕日が沈み、暗くなっていた。
この時、砂月が家出して四時間が過ぎていた。
三歳児の長くて短い旅だった。

後日、砂月は美津子と共に同じ道を通って花畑を目指した。
だが、どれだけ探しても花畑に二度とたどり着くことはなかった。