【うつ病との向き合い方】「見た目」を変えたら社会の反応が変わった:自己肯定感回復のための”自分のためのおしゃれ”

うつ病との向き合い方

視覚情報が全体の8割

人間は、外界から得られる情報のうち8割が視覚からと言われています。

人間の感覚をお話するとき、浮かぶのは五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)だと思います。どの感覚も重要で様々な情報を与えてくれます。その中でも視覚は、物の形や色、大きさ、動き、奥行きなど、非常に多くの情報を一瞬で捉えることができるため、他の感覚に比べて圧倒的に多くの割合を占めているとされています。

脳は膨大なエネルギーを使って視覚情報を処理し、その情報に基づいて周囲の状況を認識し、行動を決定しています。

脳が視覚からの情報に膨大なエネルギーを割くのは、生きるうえで非常に有利だからだと言われています。例えば、遠くにいる天敵を発見したり、食料を見つけたり、周囲の地形を把握したりするのに役立ちます。

これは現代でも変わることがない人間の特性です。広告や営業、教育など、情報を効率的に伝える必要がある分野では、それがうまく利用されています。画像、動画、グラフ、図解などが多用されるのはこの特性を利用するためだと思われます。

日常生活でも第一印象が態度を決める

天敵を発見するという表現を使うと、人間が狩猟民族だった頃の話のように聞こえます。ただ、それは現代でも同じことをしています。相手が信用できるかどうか、自分より強いか弱いか、相手がどんな属性の人物なのかを判断するのに、私たちは自覚している以上に視覚情報を使っていると思います。

実際、第一印象の大半を視覚情報(見た目)と聴覚情報(声のトーンなど)が占めているという研究もあります。

第一印象が決まるまでの時間については、様々な研究や説がありますが、一般的には数秒から数十秒という非常に短い時間だと言われています。

代表的なものとして、以下のような説があります。

  • 3秒〜5秒説
    最もよく言われる説で、人が相手の見た目や雰囲気から直感的に印象を形成する時間とされています。私が接客の研修をする際には、この説を一番多く使っていました。
  • 6秒〜7秒説
    特にビジネスシーンなどで言われることがあり、挨拶や第一声を発するまでの時間が含まれます。私が新入社員に研修を実施する場合はこちらの説を使いました。店舗での店員と客という関係ではなく、先にアポイントをとっていて名刺交換をするような場面では一番当てはまりやすいものだと思います。
  • 0.1秒説
    プリンストン大学の研究など、顔写真を見ただけで信頼度などを判断するという、さらに短い時間で印象が決まるという説もあります。これは、もう本能レベルでの判断という気がします。街中で近づくべきではない人を見分けたり、危険人物を察知するような場合のような気がします。

これらの説は異なりますが、共通しているのは「非常に短い時間で第一印象が形成される」という点です。

これを踏まえて、働いていた時は身だしなみには人一倍気を払いましたし、声のトーンも意識して勤務していました。いかに好印象になるかということにこだわって。それはお客様からの印象についてもそうでしたし、社員からの印象についても気を付けていました。信頼感がある方が、当然研修も人間関係もうまくいきやすいことは間違いなかったので。

【実体験】髪の色を変えて分かったこと

イメージチェンジ

うつ病になってからは、身だしなみに気を配ることすら叶わない期間が続きました。これは『努力の放棄』ではなく、『脳のエネルギー不足』でした。シャワーを浴びること、歯を磨くことすら、私にとってはフルマラソン並みの消耗を感じていました。

2年間で美容室に行けたのは1回だけ。人と長時間一緒にいることができなかったですし、もし途中で体調が悪くなってしまったらと考えてしまうと行きたくても行けませんでした。

髪は肩甲骨あたりまで伸びていました。お風呂にもなかなか入れないので、手入れもできず髪はバサバサ。髪ゴムで髪をまとめて過ごしていました。

2年が過ぎ、美容室にようやく行ける体調になりました。まだ社会復帰の予定はなく、気分を切り替えたいと思っていた時期。妻からの後押しもあり、髪色を変えることにしました。

大学時代には髪を茶色にしていました。社会人になって黒髪にした時期もありましたが、私は肌が白いので「黒髪だとオセロみたいで気持ち悪い。染めろ。」と上司に言われてこげ茶にしました。営業を離れてからはずっと黒髪だったので、10年以上ぶりのカラーリングでした。

負の気持ちの流れを断ち切りたかったので、思い切って桜ピンクにしました。ピンクベージュというのでしょうか。髪も短くなり、イメージチェンジは大成功。

周りの人のためにする「身だしなみ」ではなく、自分の為にする「おしゃれ」。このイメージチェンジは、私の人生で初めての「おしゃれ」でした。妻以外の人に会うこともほとんどなかったので、周りの人の反応なんて正直どうでも良くなっていました。

まわりの反応の変化

この3年間で、私の第一印象は大きく3つ推移しました。それぞれの段階での周りの反応は以下のような感じでした。

  • 働いていた時は、一言で言えば「仕事ができそうな爽やかな人」
    初対面の人でも、基本は一目置いてくれているような対応でした。仕事上では失礼な対応をされることもほぼありませんでした。日常生活では、私が真面目そうで弱そうに見えるのか、悪ぶった容姿をした人たちや私より年上の男性たちに、失礼な対応をされることは度々ありました。
  • うつ病療養中、長い髪を後ろで束ねた「清潔感があるとは言えない人」
    私自身が発するパワーも落ちていたのでしょうが、今まで丁寧な対応をしてくれていた社内の先輩からの扱いも雑になりました。そして、日常生活でも社会の底辺を見るような目や対応をされることがほとんどでした。
    日本では髪が長い男性が、正社員で働いていることは全体で見ると少ないと思います。そういう偏見のようなものなのか、清潔感の問題なのか、年齢・性別関係なく、社会全体が雑な扱いをしてくるような印象でした。もちろん一部例外の、素敵な対応の方々もいらっしゃったことは追記しておきます。
  • 髪をピンクベージュにした「一見、癖がありそうな人」
    恐らく社会に適合しているとは言いにくい印象なのだと思うので、周りの反応は長い髪の時と同じだと思っていました。しかし、日常生活で一番丁寧に扱っていただけたのはこの髪でした
    恐る恐る対応される方もいらっしゃいましたが、私は基本相手に失礼な態度をとることはありません。その私の対応を見て、丁寧な対応をしてくださいました。
    そして一番変わったのは、悪ぶった容姿をした人たちや私より年上の男性たちの反応でした。以前は威圧的な対応だった人も、丁寧に変わりました。初めて会う人も、私の容姿を見て一歩引いて対応する方が増えたように思います。

第一印象で、相手が信用できるかどうか、自分より強いか弱いか、相手がどんな属性の人物なのかを判断した結果なのだと思います。

私としては、相手に合わせて自分の態度を変える人が嫌いなので、相手が弱そうだから高圧的になり、強そうだから丁寧になるというのならば、最初から高圧的な態度をしなければいいのにと思わずにはいられないのですが。

運転していても感じる変化

これは車を運転していても感じます。今、日本ではあおり運転が問題になっています。私の地元でもすごく多いです。そしてあおってくるのは若い男性ではなく、大半が50代~60代と思われる中高年のおじさん・おばさんなのにはいつも驚かされます。

以前私は、日産のシルビアという車に乗っていました。イニシャルDなどの走り屋漫画にも出てくるようなスポーツカーです。その時は、あおってくる車はほとんどいませんでした。私は法定速度で走ります。どうぞ追い抜いてくださいというスタンスなので、みんなそっと抜いていくというイメージでした。

今は、妻のお母さんから譲り受けたホンダのライフという軽自動車に乗っています。走る速度はシルビアと変っていないのに、毎日あおられます。短距離の走行でも必ずあおり運転に出合う感じです。弱い人が乗っているように見えるのでしょう。

私が追い抜きやすいようにしていても、あおり続ける人もいます。そして、追い抜きをかけてくる時に必ず私の運転席をのぞき込んできます。「のろのろ走りやがって。」と威圧したいのでしょう

しかしそこにいるのは、弱そうなおばちゃんやおじちゃんではなく、ピンク髪の私。目が合うと急におとなしくなり、後ろに下がっていったり道を変えたりしていきます。もちろん私は威圧もなにもしていません。会社勤めしていた時と同じ中身と態度で、私はなにも変わっていません変わったのは見た目だけです。

少し嫌気がさします

第一印象で、人間はどれだけ態度を変えているかを実感する期間でした。私は相手によって態度を変える方ではないので、それは私の想像をはるかに超えていました

膨大な視覚情報を処理し、それに基づいて行動している人間。見た目で判断するのは、本能的なものだと思います。そうだとしても、ただ髪の長さと髪の色を変えただけでここまで変化が出るものだと知り、正直むなしく、悲しくなりました。

私は生まれてからずっと、こんな不確かな、不安定なものを気にして、気を使い、それに振り回され続けてきたのだと。

しかし、この『ムカつく変化』は、自己肯定感を回復させる上で重要な気づきを与えてくれました。それは、『他人軸の身だしなみ』から『自分軸のおしゃれ』へのシフトです。

これは、行動も同じだと思います。他人からどう思われるか、いわゆる「世間体」を気にして行動するのが「身だしなみ」であれば、自分がやりたいことを信念を持ってやることが「おしゃれ」なのかもしれません。

私の母は、世間体最優先の人でした。私がセールスマンとして高収入を得ている時よりも、誰しもが知っている超有名企業に中途入社して安月給をもらっている時の方が誇らしげでした。

そんな価値観に幼い頃から疑問を持って成長してきたつもりでしたが、少なからず影響は受けていたのだと思います。

「世間体」という、不確かで、不安定なものに少なからず振り回されていました。

良い面もあります

最後に良い面についても触れておきます。

人間は視覚情報を処理する際、天敵を見つけることにも情報を利用しますが、それと同じように自分の仲間を見つけることにも利用しています。

私は幼い頃、祖母の影響で袴を履いて生活している期間がありました。動きやすく、私は好きです。しかし、日常生活で袴を履いている人なんてほとんどいません。小学校に入学して以降、剣道の道場に通うとき以外に履くことはありませんでした。

最近どうしてもまた履いてみたくなり、昔ながらの袴に近いスーパーワイドパンツ的なものを購入しました。ピンク髪にして、相手の反応の変化にむなしくなっていた期間です。それまでは袴を日常生活で履いているなんて、どんな目で見られるのだろうと思っていました。でも、もうそれもどうでも良くなったタイミングでした。

すると、面白いことが起きました。大半の人はギョッとして、私に近づくまいという反応をしました。恐らく「かなり変わった人だ。近づくのはやめておこう。」という防衛本能のようなものでしょう。

その中で、逆の反応の方々もいらっしゃいました。同じ好みの方々です。袴を履いているだけで、話しかけてきてくれる人もいました。「カッコいいですね、好きなんですか?」と。これは予想していなかったので、正直嬉しかったです。同じ好みの人を見つけて、仲間だと認識して声をかけてくれたのだと思います。

どっちが良いかはわかりませんが

仕事では、万人受けする方が無難だとは思います。ただ、日常生活でもそうあるべきだと私は思いすぎていたのかもしれません。自分の仲間になることのない人々に気を使って、失礼な態度をとられ続けていました。

それよりも、自分がやりたいことをやって、自分と感覚が近い人に見つけてもらう方が有意義なのかもしれません。その分自分とは合わない人は離れていくのですが、私にとってはそれは良いことのように感じました。

広く人間関係を持つために万人受けするスタイルを持つのか、それとも自分のスタイルを持って自分に合う人だけを見つけていくのか。どちらが良いのかは分かりません。

うつ病を経験した今の私は、自分のスタイルを持って仲間を見つけることの方が重要なことのように思います。RPGでも、村人ばかりに気を使っていてはストーリーは進みません。ストーリーを進めるために必要なのは、本当に大切なパーティー4人ほどです。

間違いないのは、人間は視覚情報で相手を判断しがちであり、その情報を基に行動や態度を決めがちであるということ。

そして、どちらのスタイルで自分が生きるのかを、意図的に決めて行動することは大切なことです。

結び:自己肯定感への第一歩

もし今、あなたが『身だしなみに気を配る気力すらない』状態だとしても、それは『努力の放棄』ではありません。まずは体を休ませてあげてください。

そして、少しでも元気が出てきたら、『誰のためでもない、自分のためのおしゃれ』を小さな一歩として始めてみてください。それは、あなたの自己肯定感を回復させ、『他人の視線に振り回されない自分軸』を取り戻すための、最も手軽なセルフケアになるはずです。

合わせて読んでほしい:
【再発防止のための習慣】心の安定に欠かせない「脳の材料」を無理なく摂る方法
【再発防止のための習慣】自律神経を整える習慣:マグネシウムと発酵食品が守る「第二の脳」(腸)の力