【闘病体験記】「マジョリティじゃねぇ奴」でいい:うつ病当事者がELLEGARDENのライブで気づいた真の原因

闘病体験記

始めに:うつ病とは自分と向き合う病気

私はうつ病と診断されて3年が経ちます。いわゆる「闘病生活」が始まって3年ですが、症状はその1年以上前から少しずつ出ていました。そして、その症状が表面化するまでに「うつ病の原因」は少しずつ少しずつ、着々と蓄積していたのだと思います。

悲鳴を上げてしまった脳は、なかなか動きません。薬を使って、全力でサポートしたり、強制的に休ませたりしながら、脳の回復を待つしかありません。

薬で原因となるウイルスや細胞を消滅させることで治るわけではなく、脳が再び機能を取り戻すために、体自身が治癒能力を発揮しなければならないのです。

そして、機能を取り戻すまで待っている間(=闘病期間中)も、症状が出るまでに着々と蓄積していた「うつ病の原因」は継続して積み重なります

「うつ病は完治しない病気」と言われることもありますが、それは病気の原因が「本人の考え方」「本人の生活の捉え方」「本人の認識する世界」にあるからではないかと私は考えます。

その原因となる考え方や認識する世界が変わらなければ、蓄積するものは除去できません。結果として、脳が再び悲鳴を上げてしまうのは時間の問題なのかもしれません。

今回は、私がこのような考えに至り、自分の生き方、考え方、自分が認識している世界について見つめ直し始めるきっかけになったことについてお伝えをしていきます。

きっかけは闘病開始から1年後

病気と向き合う日々

私が重度のうつ病と診断されたのは2022年の7月です。診断を受けたその日を最後に、翌日から有給消化に入りました。

「仕事だから、しっかりやらないといけない。」という、私を最後まで動かしていた「異常なまでの責任感」の糸がぷつりと切れた途端、別人のように眠り続けました。

責任感という糸で、操られていた抜け殻マリオネットだったのだと思います。一日20時間寝るような日もありました。食事もせずに眠り続ける私がちゃんと息をしているのかと、妻が確認に来ていたのは以前の記事でも触れました。

それくらい、私の脳は疲弊していたのです。

薬も体を慣らしていきながら、徐々に増やしていき許容される最大量になりました。薬の副作用と、病気の症状という見えない様々な敵と戦いつづけます。

体を動かしたくても動かない、眠りたくても眠れない、起きたくても寝落ちする。体をコントロールすることが、まったくできない日々が半年以上続きました。

それからしばらく経ってようやく少しコントロールできるようになっても、自分では病気が良くなっているという感覚はありません。症状の波に翻弄されて、一喜一憂する日々でした。いわゆる体調ガチャと呼ばれるものが、これに当たるのかもしれません。

症状も次々と変化します。実際変化していたのか、それとも私がすべてが一度に起きていることに気づいていなかっただけなのかどうかは分かりません。

「○○な症状が気になる」と担当医師に確認をし説明を受けると、次は「△△な症状が出てきた気がする」と別の症状に気が向く。そしてその対処法を聞きながら、「また○○になりました。」という繰り返しでした。

症状を追って対処しようとするので、やることがたくさんあるような気がして、頭がぐちゃぐちゃになります。治っている感覚もないので、焦ります。治り始めたと思ったら、調子の悪い症状の波が戻って来るので、振り出しに戻るような無力感にも苛まれました。

訪れたきっかけ

そのような日々が1年近く続いていました。途中で会社と交渉し、転勤先から地元に引っ越しをするなど環境を大きく変えました。それでも、症状は行ったり来たり。

最初の頃のように「眠りっぱなし」ということはなくなりましたが、1回外出すれば数日寝込むような状態です。

そんな時に夫婦そろって大好きなELLEGARDENが、九州でライブをするという情報が入ってきました。これまで仕事最優先だった私は、大学時代に行った以来、アーティストのライブに行くようなことはありませんでした。ELLEGARDENは活動休止期間もあったので、生で見たことはありません。

16年ぶりの九州ライブということもあり、これは逃せないチャンスだと感じました。

それでもいつもの私なら、妻の誘いでも断っていたと思いますそれだけ体調に、自分自身に自信がありませんでした。しかしELLEGARDENは私に、命に係わる大切な気づきをくれた存在。

1年近く闘病をしていて、先が見えない焦りや苛立ち。一向に変わらない日々。もう働くことすら、社会と関わることすら叶わないのではないかという不安

無意識に、「何かが変わるかもしれない」と感じたのかもしれません。チケットの抽選に応募することにしました。

それでも当日、体調がどうなるかなんて、なんの保証もありませんでした。

存在に気づいたもう一人の本当の自分

運よく見事に当選し、当日までひたすら体力の温存を重ねて、体調を整えました。それでも、気を抜けばふらつきます。人も多いので、少しでも人混みを避けられるような行動で、妻とライブ開始までを過ごします。

はしゃぐような感情の力も体力も持ち合わせていませんでしたが、それでも久々に感じるワクワクに近い気持ちでした。

しかし、ライブが始まる頃には立っているのがやっと。オールスタンディングのライブなので、座ることはできません。「無理かも」と不安になるほどでした。

ライブ:音と光が引き起こした感情の爆発

ライブが始まった瞬間、音にも光にも発症前よりかなり過敏になっているので、一瞬目が眩み、頭がぐっと締め付けられます。

「無理だった・・・」

しかし、そう思ったのは一瞬でした。音楽は4万年前には、すでにあったと言われています。人間の精神や体、何かしらに良い効果をもたらすのかもしれません。いつの間にか、体は動き「楽しい」という感情が噴出してきました。

そして、人生で初めて感じた感情。

「人の目なんて、どうでもいい。とにかく今を楽しみたい。」

今まで私は人の期待に応えるため、人の目を気にしながら生きていました。普通でいよう、普通という枠の中で、優等生でいようとしていました。

そうやって育ってきた私が、こんな感情を持つことなど、これまであり得ませんでした。なにか、自分の周りにあった黒い霧のようなものが、一気にサッと晴れていくような感覚でした。

心からの言葉

そして、ELLEGARDENのメインボーカルの細美武士さんのMCが入ります。

「俺たちELLEGARDENの音楽みたいなのを好きだって思ってくれるちょっと不器用な連中は、ものの考え方とか価値観とかが、ちょっとマジョリティから離れている連中が多い気がしていて。そういうマイノリティの連中がこうやって集まって、こんなデカい会場を埋めつくしてるのは最高の景色だよ。日常生活でも、『もっと周りに合わせて生きていかなきゃだめなんだよ人間は』みたいなことばっかり言われて。窮屈な思いもたくさんして。それがなんか、『ほら、マジョリティじゃねぇ奴らがこんなにいるじゃん』って、思えるんじゃねぇかな。」

※その時、私の心に焼き付いた言葉をそのまま書いていますので、実際に細美さんが言った言葉とは異なります。もし変な意味に受け取れてしまう場合は、私の言葉の責任です。細美さんが伝えたかったニュアンスと異なって伝わることは私も本意ではないので、これは「私が心に刻んだ言葉」として受け取ってください。

この言葉を聞いた時、いろんな感情が一気にあふれ出しました。それと共に、私がこれまで知らなかった涙がこぼれ出していました。その涙は、私が車の中で人知れず号泣した時以来の涙。そして、流れる涙と共に出てくる感情は、うつ病と診断される前の数年のものではなく、もっとずっとずっと前。幼少期からの記憶と感情。自分自身に押さえつけられていた、もう一人の自分の記憶と感情でした。私が知らない、違う角度からの記憶と感情でした。

その後もライブは続きます。溢れ続ける涙と感情と共に、人目も気にせず精いっぱい楽しみました。人生で初めての楽しみ方だったかもしれません。

その中で一つの答えにたどり着きました。

「私はマジョリティであろうとしていた。そう周りから求められていたし、自分自身もそうなろうと振る舞っていた。マジョリティじゃないとダメだと。自分はマジョリティ(=普通)だと思い込もうとしていた。」

「でも、違う。マイノリティなんだな。そして、それに本当は自分でも気づいていた。周りとのズレは常に感じていた。でも気づかないふりをして。一生懸命押し殺して。ずっとずっと生きてきていたんだな。」

私は最高のライブを経験しました。

本当に向き合うべきもの

それ以来、私の場合は「うつ病の原因は、職場のことがとどめを刺す形になったが、これまでの生き方にあるのだ。」という考えに行き着きました。

この考えに行き着く前は、症状の内容に一喜一憂し、職場政治だけが上手だった上司と、自分勝手な手柄だけを欲しがった管理職に怒りを向け、私の貴重なエネルギーを無駄に放出し続けていました。

正面から向き合ってエネルギーを使う相手は、病気の症状でも、薬の副作用でも、うつ病に追い込んだ相手でもありませんでした。

正面からしっかり向き合うべきは、病気の原因の大部分を占める自分自身だったのです。

それ以来、私が注目するのは症状でも、職場で起きていたストレスのことでも、薬の副作用でもありません。

私がこれまで、どんな生き方をしてきていたのか。どんな考え方をする傾向があるのか。何が好きなのか。何が嫌いなのか。私が持っている特性とはなんなのか。

そういったことを一つ一つ、客観的に見るようにしました。

この客観的な自己分析には、仕事で培った問題解決能力や、資格取得で身につけた論理的思考が役立ったと確信しています。

その結果、私が「私」だと思っていた者は、「他人から見た私」であって、本当の私は私の奥底で必死に耐え忍んでいたことに気づきました。

それが私のうつ病の根本的な原因であると確信をしました。それ以来、自分を見つめなおす作業を続けています。

それが功を奏し、症状の波を乗り越えながらですが一歩一歩回復に向かっています。

「うつ病にかかると元の自分には戻れない」

そう言われます。しかし、元の自分に戻ることは病気の原因を抱えたままであることを意味します。「元の自分に戻る」ことを目指すのではなく、「自分をリニューアルする」ことが求められているのです。

この「自分自身を見つめ直す作業」こそが、私がこのブログで提唱する「Satsuki式マインドセット」の出発点です。

次回の記事では、このマインドセットを具体的にどう構築していったのか、その第一歩について詳しく解説していきます。

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