優秀さの裏側にある「金銭的呪縛」
なぜ、人一倍努力して優秀なはずなのに、常に「お金の不安」と「満たされない気持ち」が消えなかったのか?
それは、私の機能特化CPUに組み込まれた「罪悪感プログラム」が、成人するまでに「経済的な貢献義務」という形に転用・強化されていたからです。
私の優秀さは、「自己肯定感」を生むのではなく、「経済的な迷惑をかけていない証明」という、換金性の高い成果にすり替わっていました。
「結果を出し続ける自分=存在価値がある」という思考は、裏を返せば「結果を出さない自分=家族の経済基盤を脅かす存在」という、幼少期からの生存戦略に支配されていた証拠です。
優秀さ=自己存在のコストゼロ化
私の自己否定は、家庭の「経済的依存性」と強く結びついていました。
私が小学生低学年の頃から母は働いておらず、私たちの生計は「お父さんと呼びなさい」という、別に家族を持つ男性の経済援助に頼るしかありませんでした。その男性は、元々母の夜の繫華街のお店の客の一人でした。
母が大きな病気をしたタイミングで、水商売を引退しました。その際に、その男性が家に週に数回来る代わりに生活費の面倒を見るという、一種の契約のような関係でした。そのため、母はその男性が来る日には家でも化粧をし、おしゃれをして、いつもとは違う料理を出しました。
その男性の家族もそのことを知っていましたので、不倫とは少し違います。私もその家族と会ったことがありますし、一緒に食事をしたりカラオケに行ったりしたこともあります。その男性の壮大な家族ごっこに付き合っているような感覚がありました。
しかし、この男性の経済的援助がなければ生きていけないという現実は、私の脳に極度の不安を基本設定として組み込みました。この男性から、「家族ごっこは終わり」と言われてしまえば、私は生きてはいけないのです。
当初、その男性にとって私は邪魔な存在だったのだと思います。母の見ていないところで、叩かれたりつねられたりもしました。
その中で、私はこの男性が「優等生の親になりたい」という承認欲求を持っていることに気づきます。この男性は6人の子を持っていましたが、いずれも私より年上ながら、一般的に不良と言われる方々でした。
そしてそのことを分析した私のCPUは、生存のための契約を結びます。私は彼に「優秀さ」という商品を提供することで、金銭的援助(生存の権利)を得るという契約です。母親だけでも成立している「家族ごっこ」の契約を補完し、私の生存権をより強固にするため、私は「優秀さ」という代償を差し出したのです。
そして私は良い成績をとることで、塾の学費を免除で通っていました。これは、私の成績という成果が、「学費=金銭的なコストの免除」という具体的な価値に換算され、「経済的な貢献」を果たしていることを意味します。
この仕組みは、「自分の存在=コスト」という図式を強化し、自己の存在を許すための絶対条件を「コストゼロ化」に設定してしまいました。
私の優秀さとは、「家族に迷惑をかけず、自らの生存を担保するためのコスト免除券」だったのです。
人生の選択権の喪失
このコストゼロ化プログラムは、人生の最も重要な選択、進路にまで影響を及ぼしました。
私は医者になることを目標にしていました。そして大学受験で、見事に受験したすべての医学部や薬学部に合格をし、大きな達成感を得ました。しかし、合格を伝えた時、返ってきたのは「大学には行かせられない」という母の言葉でした。それは私の将来の可能性が「経済的な限界」によって決定されるという、現実的な宣告でした。
そこで私は一年後、自分の「興味ややりたいこと」ではなく、「自分の成績で学費免除で行けるところ」かつ「家から通えるところ」というコストゼロの論理を最優先し、入学する大学を決定しました。
優秀であることは、経済的な鎖から逃れるための唯一の武器であり、同時に人生の選択肢を縛る呪縛でもありました。
完璧主義者の最終的な燃料切れ
私のうつ病は、この「経済的依存を断ち切るために、自分の価値を換金し続ける無限の努力」が限界を迎えたという、論理的な燃料切れでした。
社会人になっても、それは「給料をもらっているのだから、給料以上の働きをするべき」という論理に発展しました。そしてその論理は、自分の管理する部署で数十億の売上を出し、自分の給料の何十倍もの利益を出してなお、「さらに」「もっと」という一種の強迫観念へと変わりました。
「優秀さ=コストゼロ」という設定で動くCPUは、永遠に稼働を止められません。成果を出し、コストをゼロにしても、それは「今日の生存」が保証されただけで、「明日のコスト」は常に発生し続けるからです。
この自己破壊的な「自己価値の金銭化プログラム」が、私というエンジンを40年間にわたり休むことなく追い込み、決定的なオーバーヒートを招いたのです。
Satsuki式・プログラムのアンインストールと再起動
この自己破壊的なプログラムを止めるには、まず「プログラムの存在」を認識し、その論理をアンインストールすることが必要です。
自分自身の「やりたいこと」「論理」「感情」を否定することをやめ、自分自身の中に「答え」があると認めることが大切なリニューアルです。その答えが正解かどうかは、誰にも分かりません。正解なんてないのだと、今は思います。
そのために自分の中にある様々なものを整理する「思考の交通整理」を活用することは、再発を防ぎ、自己価値を金銭的な市場から解放するために有効な手段です。
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