「1/2 四捨五入すれば1」第1話:誕生

小説連載:【論理の起点】1/2 四捨五入すれば1

私は、ある人間が生まれた時から共にいる。
その人間は一九七九年、梅雨前のうららかな季節に生まれた。

彼の名前は石川砂月。彼は生まれる直前まで、女の子だと思われていた。
そのため病室には、女の子用の服やおもちゃ、そして名前が準備されていた。
砂月という名前は、女の子を迎えるための名前だった。

砂月は男の子だが、見た目は女の子のようだった。
大きくくりくりした、まんまるなたれ目。
瞳の色は、虹彩まで透けて見える明るい茶色。
透き通るように白い肌。
すでに染めているかのような茶色い髪の毛は、生まれた時からかなりの長さだった。

彼の母親である石川和美は、数々のミスコンテストの賞を総なめにしてきた人物だったが、砂月の顔は和美のコピーのようにそっくりだった。
「男にしておくにはもったいなかあ。」
砂月は、今後の人生で幾度となくこの言葉を言われることになる。

彼が生まれた時、父親である石川宗男は病院にはいなかった。
「しょうがない、出張やけん。」
その時代はまだ、出産に父親が立ち会うということ自体一般的ではなく、予定日より一週間も遅れて生まれたことを考えれば、それは決して不自然なことではなかった。

その日のうちに、親戚達が病室に詰めかける。
「男の子やったっちゃろ。」
「でも男にしておくにはもったいない可愛さやね。」
予定が女の子だっただけに、皆が口を揃えて同じことを言う。
「男の子やったけど、元気に生まれてくれて良かったよ。」
和美はこう言うが、宗男をはじめ多くの人間が女の子を希望していた。


数日後、病室に宗男がやってくる。
「生まれたか。男の子っちゃろ。」
宗男は言う。
「来るの遅かったね。」
そう言いながら、和美は不服そうに顔をゆがめる。
「仕事やったっちゃけん、しょうがなかろうもん。」
宗男は気まずそうに言い返す。
この時代、男は仕事を優先するのが当然。
それこそが男の務めであり、カッコよさであるという風潮が一般的であった。

和美と宗男は、二十四歳の時に結婚し、現在は三十六歳。結婚生活も長い。
しかし女の子が欲しかったことも影響しているのか、宗男は砂月の誕生への反応がかなり薄かった。
和美は宗男のこの反応に若干の違和感を持ったが、口にすることはしなかった。

予定よりも一週間長く母の胎内で過ごした砂月は、三千六百グラムまで大きく成長した。
予定を超える胎内長期滞在に加えて、帝王切開で誕生。
その後は順調に退院し、和美の実家に滞在した。

和美の実家に移っても、宗男はほぼ来ることはなかった。
来ないどころか、砂月の出生届すら出していない始末であった。
「砂月の出生届は出してくれた?」
電話でのこのセリフ、何度繰り返されたことだろう。
「仕事が忙しくて、まだ出しとらん。」
この言葉も幾度となく、宗男の口から繰り返された。

宗男は会社経営をしており、忙しいことには違いなかった。
ただ、結婚して十三年経っての子どもである。
ならば仕事ばかりを優先して、役所に赴くことができないというのは考えにくいものがある。
和美の再三の催促も徒労に終わり、ようやく出生届が提出されたのは出生から十四日後、役所が定める提出期限ギリギリであった。
和美は、宗男からの提出報告に胸を撫で下ろした。
それと共に、病室で持った違和感が胸にどんどん立ち込めていくのを感じていた。


二週間の無戸籍期間を経てようやく戸籍を手に入れた砂月は、和美と和美の父母のやさしさに包まれながら成長を続けた。

それと共に、和美は違和感の正体を明らかにすべく、探偵会社に連絡を取っていた。
今では道路沿いの看板でも「浮気調査」という言葉が目につくが、その頃はそのような会社に依頼をすること自体が不名誉なことであった。
それでもそのような会社に依頼をしたということに、和美の覚悟が感じられた。

数か月後に探偵会社の調査結果が明かされ、和美は途方に暮れた。
宗男は和美の妊娠中に浮気をしていた。相手は以前に離婚しており、三歳の娘がいた。
そして、宗男は浮気相手とその娘のために部屋を借り、そこで一緒に生活をしていたのである。

娘には「お父さん」と呼ばせていた。
最近会社から出張を命じられた形跡はなく、出張と言ってはこの部屋に泊まっていたようであった。
それは砂月が生まれた日も例外ではなかった。

この事実が、複数の写真と共に探偵から和美に明かされた。
宗男はハーフのようにはっきりした顔立ちで、体型も30代半ばでありながら腹筋がしっかり割れていた。

医者の家系で育ち、本人こそ会社経営者であって医者ではないものの、大変裕福であった。
まだ一家に一台という時代ではない自家用車を所有し、異性にちやほやされるには十分すぎるほど目立つ存在だった。


後日、和美は宗男と話し合いの時間を設けた。
最初はごまかそうと必死だった宗男であったが、写真を突き付けられると言い逃れはできなかった。

子どもが生まれたばかりということもあり、相手と別れる方向で解決する話がまとまった。

これで無事に一件落着かに思われた。しかし、そううまくはいかなかった。
宗男は別れたようにふるまうが、どうも怪しい。
「別れてないやろ?」
和美が問い質す。
「別れて欲しいって言っても納得してくれんっちゃんね。奥さんと別れてくれたら自分も別れるって。ごめんけど、一旦離婚して再入籍してくれんやろうか。」
宗男は平然と言うが、和美に納得がいくわけがない。
「なんそれ、意味分からんやん。自分が浮気するけんいかんっちゃろ。どうにかしいよ。」
和美は突き放す。悪いのは宗男である。そして、和美には自信があった。
(私を選んでくれるはず。)
その自信は、これまで一緒に過ごした十三年間の幸せな時間に裏付けされたものだった。

だが、その自信は無残に砕け散る。

ある日気になった和美は、役所で自分の戸籍を確認する。
するとそこにはすでに宗男と離婚している記録があった。
当然和美は離婚届を書いた覚えはない。
恐らく浮気相手が和美の欄を記入し、宗男が提出したのだろう。
和美は再度宗男に詰め寄る。
「どういうこと?」
宗男は静かに答える。
「どうしても別れてくれんけん、こうするしかなかった。また婚姻届書いてくれん?」
和美は声を振り絞って言う。
「絶対嫌・・・。」


宗男は本当に再度結婚するつもりだったのだろうか。
言い訳をしているに過ぎず、不倫という立場から二股に移行することで、二者を吟味するつもりだったのか。
それとも家族を捨てて、うまく相手と結婚する計画が途中でばれてしまっただけだったのか。それは宗男本人にしか分からない。

そしてまた、和美もなぜ婚姻届を断ったのか。
砂月には
「砂月の戸籍が汚れるのが許せんかった。砂月の為を思ったら離婚するしかなかったと。」
と理由を告げていたが、離婚の記録は変わらない。
その後再婚の記録があってもなくても変わらないのではないのか。

和美自身のプライドが許さなかったのか。
それとも、自分勝手な理由で離婚届を出した宗男に愛想を尽かしてしまったのか。
砂月に告げた理由がすべてだったのかどうか、本当のところは和美にしか分からない。

それ以降は、子どもの親権をめぐり裁判へと発展する。
会社の跡取りが欲しい宗男と、お腹を痛めた子どもと一緒に過ごしたい和美との戦いである。


【免責事項】 本作は、著者の実体験(実話)に基づいたフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は、プライバシー保護の観点から仮名、または架空のものに変更しており、一部に物語上の演出を含みます。 実在の人物・団体を特定、または不当に侵害する意図はありません。
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