人生で初めて訪れた命の危機をどうにか脱した砂月は、日常の生活に戻っていた。
和美は昼過ぎまで寝ていて、家事を夕方までに済ませる。
夕方になれば砂月を連れて美容室に向かう。
その日の衣装に合わせた髪型にセットしてもらい、終わり次第砂月を連れて、美津子の元に向かう。
そして砂月を美津子に預け、和美はネオンが輝く夜の街に出勤していく。
食事や入浴を美津子と済ませた砂月は、母和美の帰りを寝て待つ。
深夜に和美が迎えに来て和美の家に帰ることもあれば、そのまま美津子の家で朝を迎えることもあった。
美津子の家で朝を迎えた場合は、美容室の前か後、夕方近くに和美が顔を出しに来る。
これが基本的な一日の流れだった。
和美が深夜に迎えに来ない日には、和美の体力的・精神的疲れを癒す意味合いがあった。
翌日の夕方までの一人の時間は、育児や仕事から離れられる貴重な時間であった。
砂月は少し不思議な子であった。三歳の砂月は、道をジグザグに歩いた。真っ直ぐ歩けないわけではない。
真っ直ぐ歩く時もあれば、ジグザグに歩いたり急に立ち止まったり何かを避けるような動きをする時もあった。
和美は砂月がふざけているのだと思い、注意する。
息子がおかしな動きをする子に育ってはいけない。母親として当然の思いだ。
「まっすぐ歩きなさい。みんなにおかしいって笑われるよ。」
砂月はやめない。理由があるからだ。
「避けないと。」
和美はわけが分からない。
「いいから、真っ直ぐ歩きなさい。お母さんのいうこと聞かないと、置いていくよ。」
砂月にとっては、なぜ和美が真っ直ぐ歩くのか分からない。
(こんなにたくさんいるのに・・・。)
砂月には見えていた。道を人間と同じように行き交うモヤモヤしたものが。
大きさは様々だが、大半は大人の膝の高さくらいで丸く大雑把にまとまっているものが多い。
綺麗な球体でもなく、輪郭もあやふや。
向こうが透けて見えるものも、まったく見えないものも多種多様だ。
色もそれぞれに個性的な濃さ、明るさがある。
この物体が地面から数センチから十数センチ浮かんだ状態で往来するのだから、三歳の砂月には人混みを歩くのと何ら変わりがなかった。
もちろん、和美には何度も状況を説明して理由も伝えたが、なぜか分かってもらえなかった。
砂月は仕方なくいうことを聞き、我慢して真っ直ぐ歩くようにした。
モヤモヤしたものにぶつかると、痛くはないがヌルっとする。ある種、空気の圧に似たものを感じる。
風の強い日にドアを開けて外に出ようとした時に押し戻される感覚に近いかもしれない。
砂月にとって、この感覚は好ましいものではなかったが、みんな我慢しているのだろうと受け入れることにした。
また、砂月は暗闇でも誰が何処にいるか、どういう姿勢でいるかを感じることが出来た。
正確に言えば、「見る」ことが出来た。
暗闇で目を開けると、人の輪郭が色んな色に光って見えた。赤や黄色、緑や白。
相手により、その時により見える色や見え方も違う。
皮膚に沿って数ミリから数センチ程度の光を放つモヤモヤが見えていた。
和美に話しても取り合ってもらえず、美津子に話すと薄暗い時に見えるのだと言われた。
暗いと思っても目が慣れると見えてくるくらいの暗さがあるということを教えてくれた。
暗さにも種類があるのは初耳で新たな発見ではあったが、砂月にはそれとは違うものだとすぐに分かった。真っ暗な方が見えるのだ。
家具や壁がうっすら見えるような暗さでは、皮膚の周りを覆う光は見えない。真っ暗な中で初めて見える。そして服越しではその光は見えない。
肌が露出している部分のみ、皮膚から発せられる光は見えた。
これも誰にどれだけ話しても分かってもらえなかった。
かくれんぼの最中、信二や直樹に押入れの中で話してみたこともあるが、気味悪がられた。
光が一切入ってこないのに、今の場所や姿勢をすべて言い当ててしまったのだ。これもまたそういうものなのかと、言い当てるのをやめることにした。
他の人に言わないことにしたことはもう一つあった。
砂月は方角が分かった。まだ東西南北の概念を知らないにも関わらず、大人達がいうところの「北」が分かった。「冷たい」「硬い」「金属っぽい」感覚がする向きが「北」だと砂月はいう。
宗教上の理由で北枕がだめだと美津子に教わると、この向きで寝るのは北枕だから駄目だと初めての場所でも言うことが出来た。
確認するとその方角はまさしく北で、いつも周りを驚かせた。
また、方向の感覚があるので、迷子になることは一度もなかった。
これも数回、「北」に感じる感覚を和美に伝えてみたことはあったのだが、彼女は
「お母さんは方向音痴やけん、わからんけどね。」
聞き流されるだけで終わった。
周りとのズレを感じながらも、そういうものなのだと受け入れながら砂月の日常は過ぎていく。
この日、砂月は出勤前に家事をする和美の近くで遊んでいた。
一人で遊ぶことには慣れていた。ただこの日だけは様子が違った。
砂月の左手が動かない。
左手は垂れ下がったまま、右手だけで大好きなミニカーで遊んでいる。
家事に追われている和美は気づいていない。
数時間後、美容室に向かうための砂月の着替えで、和美は驚く。
「左手あげてみて?」
砂月の左手は上がらない。
この時、砂月は脱臼していた。
いつどうやって脱臼したのかは分からないが、一人で遊んでいる最中に肩の関節が抜けてしまったらしい。
和美は急いで病院に行くことにする。
幸い仕事の出勤は、自由度が高かった。
砂月の急病などに備えて、無理を聞いてもらえる職場を選んでいた。
職場に休みの連絡を入れて、病院へ駆け込んだ。
治療の結果、肩の関節はもとに戻ったが、発見が遅れたため完治まで少し時間がかかった。
和美は告げる。
「砂月、お母さんの言うこと聞いとったら肩が痛いのは治るけんね。今日から右手で遊びなさい。」
「いつまで?言うこと聞かんかったら、ずっと痛い?」
肩を気にしながら砂月は尋ねる。
一人で遊んでいた時も痛かったのであろうが、和美が忙しそうにしていたので言い出せなかったのだろう。
「お母さんが良いよって言うまで。お母さんの言うこと聞いて、おりこうさんにせんとずっと痛いよ。」
砂月はこの日から右手で遊ぶようになる。
砂月は元々左利きのようだった。
ただ、美津子も和美も一緒にいる時間が半端だったので、それに気づいていなかった。
先入観として、右利きだと思い込んでいた。
父の宗男も含めた親戚全員が右利きだったので、右利きかどうかなどは気にしたことがなかった。唯一和美の妹である睦美が左利きだったが、すでに和歌山に嫁いでおり、近くに気付ける者はいなかった。
箸の握り方、色鉛筆の持ち方など、教える時は
「こうやって、こっちの手でこうやって持つとよ。」
このように教えるので、砂月は素直に従う。
なので教えられたものはすべて右手で行なう。
ただ、遊びなどの教えられなくとも感覚的に出来ることは左手で行なっていた。
砂月が脱臼したのと同時期に、砂月に吃音の症状が出始めた。
子どもの利き手を矯正したり制限したりすると、まれに発症することがある。
正にそれが原因だった。ただ、美津子も和美も利き手を矯正したつもりがない。
結果的に、近所の良くしゃべる女の子のせいになった。
「砂月、あの子は早口で喋るけど、ゆっくり喋ってよかよ。慌てんでいいとよ。」
このくらいの年齢では、どうしても女の子の方が言葉も早い。
その女の子はすでに四歳になろうとしていたこともあり、早口でいろんなことを喋った。
しかし、砂月の吃音の原因になるほど一緒に遊んでいるわけでもなく、影響を与えているとは考えにくかった。
「喋る前に『あのね、』って言ったら、いいっちゃないと?」
まわりの人がいろんなアドバイスをして、吃音を直そうとするがなかなか治らない。
もう治らないのではないかと思われ始めた頃、砂月が和美に恐る恐る尋ねる。
「お母さん、もう左手でも遊んでもいい?」
もうずいぶん前に砂月の左肩は完治しており、和美もそのことを忘れつつあった。
砂月は母親との約束を覚えて守っていた。
「お母さんが良いよって言うまで。」
この言葉を砂月は守っていた。
「あ、お母さん忘れとった。遊んで良いよ。」
それからほどなく、砂月の吃音はなくなっていった。
実話性と免責について
本作「1/2 四捨五入すれば1」は、
筆者自身の体験をもとに構成した実話です。
ただし、記憶の整理やプライバシーへの配慮のため、
一部の描写・表現は物語として再構成しています。
本作は、特定の人物や出来事を非難することを目的としたものではありません。
また、思想・医療・教育等を推奨する意図もありません。
読んでいてつらさや違和感を覚えた場合は、
無理に読み進める必要はありません。
必要なところだけ、受け取ってください。
