砂月はまもなく三歳半になろうとしていた。
毎日の生活は変わらず続いていたが、引っ越しをすることになった。
砂月はこれまでに二度引っ越しをしている。
美津子の家で乳児期を過ごし、裁判の有利な条件獲得のために和美が借りた部屋に引っ越しをしたのが一度目。
裁判が終わり、電車への飛び込み未遂の後に少し小さい部屋に引っ越したのが二度目だった。
和美は再び砂月のために生きようと決めた後、徒歩圏内の物件へと移っていた。
無理をして必要以上に広い部屋を借りていたことも理由であるし、水商売で仕事を終えて深夜に帰ってくる和美を、良く思っていない住人が多数いたことも理由であった。
和美にとっては気持ちを切り替える意味もあったかもしれない。
引っ越し先は近所で、美津子の家まで徒歩五分程度であることは維持されていた。
そして砂月は、今回三回目の引っ越しを迎える。
厳密にいえば、出生届の住所は宗男の実家だったので、四度目になるのかもしれないが、砂月にとってはこれが記憶に残る最初の引っ越しとなった。
今回の引っ越し先は、和美の姉である江美が彼氏と過ごす部屋の真下だった。
決して綺麗なビルではなく、古びた五階建てのエレベーターもついていない建物。
部屋の広さは六畳と四畳半が一つずつ。
十畳ほどのキッチン兼リビングが、他の部屋とふすまで仕切られていた。
玄関を開けるとすぐリビングで、お風呂とトイレは別れているものの、脱衣所などはなく、昔ながらのバランス釜の給湯器が付いていた。
江美の部屋が四階、和美が今回引っ越しをするのがその真下の三階の部屋だった。
それまで住んでいた部屋よりも条件は悪く、美津子の家からも大人の足で徒歩十分ほどと、少し遠くはなる。しかし、和美は引っ越すことに決めた。
最近、砂月の祖父にあたる雄二が入退院を繰り返していた。
そのため美津子は、砂月の面倒を見ながら、雄二の身の回りの世話をしていた。
これまでは家から歩いて行ける距離に病院があり、砂月を預かっていても一緒に歩いていくこともできていた。
しかしつい先日、少し遠い病院に転院が決まったのだった。
転院先の病院にはバスを乗り継いで一時間半ほどかかる。
砂月を連れていくこともできたが、六十を超えた女性が夫の着替えなどが入った荷物を持って、さらに三歳の子どもを連れて移動をするには限界があった。
そこで砂月の面倒を見ることが出来る人を増やすため、姉の江美が住んでいるビルへと引っ越しを決めたのだった。
とは言え、江美の子どもは祖母の美津子と暮らしている。
その江美に砂月の世話をお願いするということには無理があった。
自分の子どもの世話すらできていないのに、妹の子どもの世話をするとは到底思えない。
なぜ和美が江美を頼ったのか、私はどうにも理解に苦しむ。
宗男と和美は結婚して以来、休みの度に江美の子ども達を連れて出かけていた。
三人を自分の子どものように可愛がっていた。
それは、人数が多い方が自分たちも楽しめるということも理由ではある。
だが一番の理由は、ずっと美津子の家にほったらかしにされていて、どこにも連れて行ってもらえない三人を不憫に思っていたことであった。
裕福な暮らしをしていた宗男と和美は、三人におもちゃも与え、休日は遊び、運動会などにも江美の代わりに駆けつけていた。
江美はというと離婚前は前夫と、離婚後は彼氏と共に毎日飲み歩き、三人を気に掛けることは少なかった。
江美の言い分としては「放任主義」らしいが、それは「放任主義」とは呼ばない。
育児放棄に近い。
その分、和美は自分が愛してあげるべきと感じ、そのような行動をとっていた。
そんな生活を長男の信二が生まれて間もないころから送っていた。
だからこそ、
(今度は私が困っているのだから、助けてくれて当然でしょ。家族なんやし。 )
そんな感覚が和美の中にあったのかもしれない。
そして当然であるが、引っ越し後も江美が砂月を預かることは一度もなかった。
そんな非情な結果を想像していない和美は、家族を頼って引っ越しをする。
引っ越し当日、業者が荷物を運び出していく。
業者と打ち合わせをしつつ、忙しそうに動く和美と、不安げに考えこむ三歳の砂月の姿がそこにはあった。
砂月は窓際を見つめている。
窓から注ぎ込む柔らかな日差しに、砂月のおもちゃ箱と子供用木馬が照らされていた。
おもちゃ箱は砂月本人が入れそうなほど大きく、砂月のおもちゃはすべてこの中に入っていた。
木馬は隅々まですべて木製で、子どもがまたがって前後に動くとロッキングチェア同様に揺れる仕組みだ。
立派な作りだから高価なのだろうが、砂月はあまり気に入っていない。
あまり遊んだ記憶もないのだが、なぜかいつもしまわれることなく部屋の一部を占領している。
日差しの中で存在を強調されるように置かれているのは、砂月の持ち物だけだった。
そしてその日差しに照らされていないものは、続々と運び出されていく。
「僕、置いて行かれる・・・。」
砂月は本気でそう考えていた。
日ごろから言われていた、
「お母さんのいうこと聞かんと、置いていくよ。」
「いい子にせんと、置いていくよ。」
日頃から言われているこの言葉が砂月の心に刺さり続けていた。
条件付きでしか一緒にいられないと感じていた。
一緒にいるのが当たり前ではなく、その条件であれば一緒にいてあげるという存在。
それが自分であると認識していた。
(なんか気に障ること、一緒におりたくなくなった理由があったんやろうな。)
そう理解した砂月は、おもちゃ箱と木馬を見つめながら考えていた。
(どうやって生きていくかいな。この部屋は使ってもいいんやろうか。ばあちゃんちには行ってもいいんかな。)
どうやって許してもらおうではなく、置いて行かれることを前提として、砂月はその先のことを考えていた。
砂月にとってすでに、母親は一緒にいたい存在ではあるが、一緒にいないといけない存在ではなかった。
しかしながら、一人で生きる力はまだない。
どれだけ考え込んでも、三歳児の考えることだ。大したアイデアは出るはずもない。
そして当然置いて行かれるわけもない。
砂月のおもちゃ箱も木馬も運び出され、次の住まいへの引っ越しを無事に終えた。
無事に引っ越しを終え、新しい生活が始まる。
とは言っても、一日の流れは大きく変わるわけではない。
江美と会う機会が増えるわけでもなく、今までと変わらず和美の家と美津子の家を往復する。
ただ、その頻度と手段は変わっていた。
今までは、和美に付き添われ美津子の家に行っていた。
しかし引っ越しを終えてからは、それとは別に、砂月は一人で美津子の家に行くようになっていた。
和美に怒られたり、納得がいかないことを言われたりした時に美津子の家に向かう。
心配はさせてはいけないことを知っているので、母に
「僕、家出する。」
そう伝え、お気に入りのバッグにおもちゃと本を詰めて美津子の家に出発する。
大人の足で十分程度かかる道のりなので、三歳の砂月の足では二十分程度かかる。
傍から見ると微笑ましい行動であり、和美もそのように受け取っていた。
なので、引き留めることも追いかけることもなく、美津子に電話で知らせるだけであった。
「今から砂月が家出するけん、お願いね。」
その連絡を受けた美津子が、知らないふりをして玄関で砂月を出迎える。
砂月は美津子の家に到着し、その日和美が仕事であればそのまま美津子の家で夜まで過ごす。
休みであれば、夕方もしくは夜に和美が迎えに来る。
大した家出になっていないことは、砂月にも分かっていた。
砂月にとって家出することが目的ではなく、美津子の家に一人で行くことが当たり前になることが目的だった。
引っ越しの時に自分だけ置いて行かれるかもしれない状況を味わった砂月は、置いて行かれた時のために練習するとともに、一人で美津子の家に行くことを自然なことにしたかった。
自分を受け入れてくれる場所を増やそうとしていたのである。
砂月は「帰る」という言葉をあまり使わない。
「お母さんちに行く。」
「ばあちゃんちに行く。」
このような言い方をする。
砂月にとって、この二つの場所はお母さんの家、おばあちゃんの家であって自分の家だとは感じていなかった。
だからこそ、自分の居場所を増やす必要を感じていたのだった。
こうして美津子の家にいる時間が以前より増えた砂月は、美津子に遊んでもらうことが多くなった。
美津子が若ければ公園に行ったり、庭でキャッチボールをしたりするのだろうが、すでに六十七歳。流石に無理だった。
なので、多くの時間を室内で過ごした。
最初は一人で絵を描くことが多かったが、砂月が戦闘機の絵ばかり描くので美津子がやめさせた。
美津子と雄二は戦争を経験している。
雄二は徴兵され、戦地で終戦を迎えた。
砂月も雄二から、ミスをした際に上官命令で馬の尻を舐めさせられたという話を何度も聞いたことがある。
雄二自身は笑い話にしていたが、そんな理不尽な命令が出る上に反抗もできない軍の状況は、幼い砂月の心にも大きく残った。
雄二と美津子と江美、そして和美は満州に住んでいたこともあった。
江美と和美は幼すぎてほとんど記憶に残っていないようであるが、満州で終戦を迎えた。
命からがら持つものも持てず、引き揚げ船で日本に戻ってきていた。
砂月が戦闘機に興味を持つのは、雄二が零式戦闘機について熱く語るからだ。
陸軍に所属して戦地に赴いた雄二にとって、自分達の窮地を何度も救ってくれたのが零式戦闘機だった。
戦闘機は、何度も大空を宙返りしながら敵軍を殲滅してくれた。
雄二にとって戦闘機はヒーローであった。
雄二も砂月を喜ばせようと話をしているので、戦争の惨状や残酷なことは当然話すことをしない。
砂月には、戦闘機のカッコよさだけが伝わっていた。
なので、砂月は自分が好きになった戦闘機を描いているだけなのだが、美津子は当時の日本国民全員がそうであったように、戦争で大変苦労をした。
戦闘機が飛んでいる時は、自分たちが空襲を受けている時であった。
そして、たとえ日本の戦闘機が応戦していたとしても、頭上には焼夷弾が降り注いでいた。
その中を幼い江美の手を引き、和美を背に負ぶって逃げていた記憶は、美津子にとって思い出したくない過去だった。
しばらくは砂月の絵を褒めていたが、ほかのものを描く様子がないので、絵を描くのをやめさせることにした。やむを得ないことであった。
そして、砂月は絵を描くことがいけないことと受け止めてしまい、家で絵を描くことはなくなった。
そこで次にやり始めたのが億万長者ゲームというボードゲームだった。
プレーヤーは資本家になり、ゲーム序盤で投資用の資金を稼ぐ。
ゲーム後半は都会の不動産を買って資本を増やしていくという、人生ゲームとモノポリーを合わせたようなゲームである。
このボードゲームは、対象年齢九歳以上に設定されており、砂月にはかなり早いものだった。
信二や直樹、淳子達のために雄二が買ってあげたものだが、内容が難しく三人はすぐに遊ぶのをやめた。
そして放置されていたものを双六のようなものだろうと、美津子が砂月に与えたのだった。
砂月と遊ぶのは美津子しかいない。
小中学生の三人は砂月と遊ぶことなく、友達と外に遊びに行ってしまう。
家にいたとしても億万長者ゲームは面白くないと言って、やろうとしない。
なので、ゲームの相手はいつも美津子だった。
美津子は砂月がゲームを理解できず、すぐにやめてしまうだろうと思っていた。
しかし、砂月はゲームに興味を持ち、ルールを理解しようと美津子にたくさんの質問をする。
美津子は分からないながらも説明書を見ながら、必死に答える。
美津子もあまり理解できていないのでしどろもどろになるが、砂月は説明を聞いて一人でぶつぶつ言いながら理解をしていく。
二人で試行錯誤しながらゲームを覚えていく中で、砂月はいつの間にか美津子よりもルールを覚え、ゲームも強くなっていった。
「投資」という言葉も知らないながら、お金の増やし方を学んでいくのであった。
実話性と免責について
本作「1/2 四捨五入すれば1」は、
筆者自身の体験をもとに構成した実話です。
ただし、記憶の整理やプライバシーへの配慮のため、
一部の描写・表現は物語として再構成しています。
本作は、特定の人物や出来事を非難することを目的としたものではありません。
また、思想・医療・教育等を推奨する意図もありません。
読んでいてつらさや違和感を覚えた場合は、
無理に読み進める必要はありません。
必要なところだけ、受け取ってください。
