実話性と免責について
本作「1/2 四捨五入すれば1」は、
筆者自身の体験をもとに構成した実話です。
ただし、記憶の整理やプライバシーへの配慮のため、
一部の描写・表現は物語として再構成しています。
本作は、特定の人物や出来事を非難することを目的としたものではありません。
また、思想・医療・教育等を推奨する意図もありません。
読んでいてつらさや違和感を覚えた場合は、
無理に読み進める必要はありません。
必要なところだけ、受け取ってください。
砂月が自分の居場所をようやく拡大できた頃、重大事件が起きる。
美津子が入院してしまったのである。
体調がすぐれず、検査に行ったのだが、そのまま入院が決まった。
胃がんだった。余命半年が宣告された。
まさか即入院するとは考えもしておらず、家の近くの病院に行ったので、遠方に入院している雄二とは別の病院だった。
美津子には四人の子どもがいた。
それぞれ二歳差で上から順に、長女の江美、次女の和美、三女の睦美、そして長男の哲也と続く。
江美と和美は美津子の傍にいるが、睦美は和歌山県に嫁入りしており、出利葉の姓になっている
哲也は福岡市の隣にある糟屋郡で、会社の社宅に妻と娘二人の四人家族で暮らしていた。
江美は自分の子どもの面倒すら見ていない状態。
哲也は社宅から病院まで車で一時間かかる上に、長距離トラック運転手の仕事をしているので時間の融通がききにくい。
必然的に和美が美津子の病院の世話をすることになった。
美津子は自分の体のことより、家の事や雄二のことを心配する。
「みんなは大丈夫かいな。」
美津子は病室に見舞いに来た和美と砂月に問いかける。
自分が余命半年というのはすでに知っている。
この状況で、一番に家族の心配をすることのできる精神力はどこからくるのだろう。
家族を守りながら戦争をくぐり抜けて来た経験によるものなのだろうか。
「みんなは大丈夫よ。私がなんとかするけん。いまは自分の体調を一番に考えて。元気になってくれんと、砂月もさみしがるよ。」
和美は優しく自分の母を見つめながら言う。
「そうやね。これから砂月はどんどん大きくなるけんね。ランドセルくらいは買ってやらんと。今三歳やけん、あと四年か。長いなあ。」
美津子は砂月の方を見ながら、独り言のようにつぶやいた。
大丈夫とは言ってみたものの、和美も仕事に行かなければ生活ができなくなる。
雄二と美津子の医療費だって稼いで来る必要がある。
和美にこれといった名案はない。
だが、どうにかするしかない。
まず美津子の家で暮らす三人は、母である江美の部屋に移ってほしい。
江美に話をする。
「そんなに母ちゃん大変と?」
江美は状況をすべて知っているのに、のんきなことを言っている。
「私は砂月だけで精一杯やけど、どうにか父ちゃんと母ちゃんの病院の世話は私がするけん。代わりに三人は面倒見てやってほしい。お願いしてもいい?」
和美は江美にお願いをするが、江美は渋る。
おかしな話だ。三人の母親は江美だ。
しばらくの説得ののち、江美はしぶしぶ了承する。
「分かった。でもさ、お金ないけんお金貸して。」
それから江美の子たちは江美の部屋で生活を始める。
とは言っても、江美は相変わらず夕方から雀荘で働き、仕事後や休みの日は彼氏と一緒に飲み歩く。
幸い、信二は高校二年生、淳子は中学三年生、直樹は中学一年生になっていたので、自分達で自炊をしていた。
そのお金は和美が出した。
これまでも三人の生活費は、美津子を通してほぼすべて和美が出していた。
宗男と結婚していた時も、離婚した後もそれは変わることはなかった。
江美の稼ぎは全部飲み代に消える。
彼氏の笹山将司は塗装業をしていたが、彼の稼ぎも飲み代に消えていた。
そのため、三人が学校で使う教科書やリコーダーなどの教材、高校受験の受験代も和美が面倒を見ていた。
先日三人を江美の部屋で生活させてほしいと相談した時に言われた、お金を貸してほしいという言葉は日常的に江美から聞かれる言葉で、江美から連絡があるのはお金を貸してほしい時だけと決まっていた。
もちろんお金が戻ってくることはない。
それでも宗男が裕福だったこと、離婚後も和美がホステスとして多めに稼いでいたこともあって、どうにか工面出来ていた。
三人の生活費は大目に見たとしても、どうせ飲み代なのだからお金を貸さなければいいと思うのだが、
「家族だから。」
そんな理由で貸し続ける。
お金を借りに来るのは、哲也も同じだった。
長距離トラックを運転しているので、稼ぎはそれなりにあるはずだった。
この時代の長距離トラックは、今と違って稼げていた。
しばらく勢いを失っていた経済の回復と共に、国内物流の全体量は確実に増えていた。
加えて高速道路が大規模に整備され、物流の主役が鉄道から自動車に移り変わりつつあった。
その状況にあって運輸業界への参入にはまだ規制があり、運送業者が限られていたタイミングだった。
運送業者にとって長距離トラックのドライバーは、貴重な存在だった。
それゆえ給料も基本給とは別に走った距離や運んだ荷物の量で歩合が付き、さらに破格の時間外手当もついていた。
ただ、その分過酷な仕事でもあった。
この頃の時間外勤務は、上限がないに等しかった。
だからこそどこまでも稼げるのではあるが、一度仕事に出ると数日間家には帰れないということも日常だった。
そんな仕事であるから、「長距離トラックで一攫千金」ということも可能とされていた時代だった。
哲也はそんな時代の長距離トラックドライバーなのだが、彼の口癖は「お金がない」だった。
彼には、砂月の二歳上の優子と更に一歳上の春子という娘がいた。
女の子ということで、男の子よりお金がかかるという面はあるのかもしれないが、それを補えるくらいには社宅の家賃は格安だった。
実際、哲秀の収入の大半はパチンコ代につぎ込まれていた。
若いころからパチンコをするので、高校を卒業して働き始めた頃からずっと、和美に世話を焼かせている。
今仕事で使っている自動車免許も、取得費用は出世払いということで和美が出していた。
彼も「貸してくれ。」と来るが、お金が戻って来ることはない。
それは娘が生まれても変わらず、和美の休日に夫婦で出向いて来たかと思えば、砂月の目の前であっても、お金を貸してほしいという話をしてくる。
彼の一家から連絡が来るのもまた、お金を貸してほしい時だけだった。
解決したとは言えないが、とりあえず江美の子どもたちはなんとかなりそうな目途が付いた。
次に砂月は預ける場所がないのでお店に相談したうえで、連れて出勤することにした。
和美が働く店は大変大きな店舗で、二百名ほどのホステスが在籍していた。
四十名前後から成るチームが、分担してホールを運営していた。
この時すでに和美はこのチームのうちの一つを任されていた。
そこでホールの裏で待機しているホステスに、砂月の面倒を見てもらうことにしたのである。
お店としても稼ぎ頭の和美に長期離脱されるのは避けたかった。
それよりも子守りに数人割く程度で済むのなら、断然ダメージは少なかった。
今では夜間保育所や企業保育所のようなところもだいぶ充実している。
ただこの頃はまだ、水商売に理解がない時代だ。
九州一の歓楽街である中洲であっても、夜間保育などは普及していなかった。
シングルマザーという言葉もあまり聞かず、バツイチという言葉もまだない。
まだ離婚を大っぴらにするのを憚られる時代、中洲で奮闘するひとり親の女性は、今とはまた違った大変さを持っていたのかもしれない。
そんな時代の最中ではあったが、お店とお店のスタッフの理解により、砂月の問題も解決へと向かった。
こうして砂月は、三歳にして歓楽街中洲に足を踏み入れた。
次は入院中の雄二だ。
雄二の病院まではバスを乗り継いで一時間半ほどかかる。
和美は公共交通機関が苦手だ。
苦手というよりもむしろ、使ったことがほぼない。
若い頃から和美の周りには、和美に好意を持つ男性が大勢いた。
そのため和美がどこかに出かける時は、大体誰かがご自慢の自家用車で送迎してくれていた。
公共交通機関に乗る必要がなかったのである。
同じ理由で、自動車免許も持っていない。
(困ったなあ。でもバスとか乗り切らん。)
考えた結果、お店に来るお客さんに、父親の病院に見舞いに行きたいけどバスに乗れないと話をしてみる。
すると送迎してくれるという男性が数人現れた。
物好きもいるものだ。
ホステスとの同伴が、ホステスの父親が入院する病院への送迎なのだ。
変な話だと思われたが、男たちはまんざらでもなさそうだった。
和美の言葉に可愛らしさを感じた男性もいたし、頼ってもらっていることに自尊心をくすぐられた男性もいた。
そして自分が落としたいホステスと片道一時間程度のドライブをすることができる。
しかも病院の周りや病室の傍で待っているとはいえ、ホステスのお父さんと知り合いになるチャンスは目前だ。
プライベートにも踏み入ることができる。
なにかしらの期待を抱いた男性は多かった。
私は男という生き物は、実に単純なものだと思わずにいられない。
ただ問題が一つあった。
和美の家近くまで迎えに行った時に、男性たちは共通して面喰ってしまう。
迎えに来た男性を凍り付かせるのは、和美の横に立っている砂月の存在だった。
男性は焦る。
「こ、こ、子ども?彩香ちゃんの?」
彩香という名前は、和美の源氏名だ。
ちゃんと呼ぶのは、和美が年齢を十歳詐称しているからだ。
用意周到に、干支まで確認して徹底している。
「そう。私の子。実はね。」
そして離婚していること、いつもは実家に預けて店に出ていたこと、両親が別々の病院に入院していることを打ち明ける。
そして最後に、
「これはまだ秘密ね。」
そう付け加える。
現実を知ってお店での指名を別の女の子に変えてしまったり、お店から足が遠のいてしまったりする男性もいた。
しかし大半の男性は「秘密」という言葉に特別な感情を持ってしまい、彩香を応援するために今まで以上にお店に通い出した。
こうして、雄二の病院もなんとかする目途が立った。
砂月は最初の数人には、やや怯えていた。
それまで砂月の周りにいる男性と言えば、祖父の雄二、いとこにあたる信二と直樹くらいのものだ。
江美の彼である笹山にもほとんどあったことがない。
ギラギラした現役世代の男性は、未知の存在だった。
中洲には和美と共に夕方ごろ出勤した。
和美のミーティング中は、経理などを担当している事務のお姉さんが面倒を見てくれた。
お店の開店が近づきキャストが揃い始めたころ、砂月はホステスとして勤務しているお姉さん達にバトンタッチされる。
営業中であっても、ホステス全員がホールに出ている時間はほとんどない。
新たに入店してくる客に備えたり、指名ではないテーブルのヘルプを交代でまわしたりしながら過ごしている。
そのため、砂月の周りには常に誰かがいた。
どうしてもホステスが出払ってしまう時は、高校を卒業したばかりの若い見習いボーイが一時的に面倒を見てくれる。
さすが店舗ナンバーワンホステスの息子というだけあって、待遇もすごくいいものだった。
砂月がお店に来るようになってしばらくは、お店のお偉いさん達が頻繁に様子を見に来た。
専務や常務と呼ばれるおじさま方が、ホステス達がちゃんと砂月の面倒を見ることが出来ているか、必要なものはないかと気にかけてくれていた。
ホステス達はまだ若く、子育て経験はない。それでも不慣れながら、砂月のことをよく気にかけてくれた。
砂月もお姉さんたちが一生懸命気にかけてくれていることが分かるので、迷惑を掛けないように心がけていた。
みんなが仕事の合間に、交代で見守ってくれる。
そこには様々な人がいた。
常に膝の上に座らせてくれる人、すごく優しくお世話してくれる人、一生懸命話題を探して話してくれる人、話かけはしないが飲み物などを準備してくれる人、本当に様々だ。
そしてその中には、砂月を気にかけたくない人も当然含まれる。
面倒くさそうにする人、とりあえず隣に座っているだけの人、砂月が話しかけても無視をする人もいた。
自分を好ましく思わない人がいるであろうことは砂月にも理解できていた。
通常子供が出入りするような場所ではないことは察している。
なので、そのような人達には、迷惑をかけないように一層気を付けた。
怖いと思ってではない。
ただ、申し訳ない気持ちからだった。
しかし、砂月が唯一怖がった人たちがいた。
それは、砂月と二人でいる時は無視をしてくるのに、専務や常務、和美がいる時には笑顔で優しく話しかけてくる人たちだった。
砂月には理解ができない。
(なんで二人の時と、こんなに対応が違うんやろ。)
砂月が初めて見た、あからさまな人間の表裏だった。
ある日砂月の世話をしてくれたのは、フィリピンから来た二十代前半の女の子だった。
片言ではあるが日本語を話してくれるし、同じアジア系なので見た目もそう変わらない。
この時代、日本に出稼ぎに来ているフィリピン人のホステスは多かった。
日本で稼いで、母国にいる家族に仕送りをする。
日本では大した金額でなくとも、母国では結構な大金になった。
日本はバブル前とは言え勢いがあり、アジアの国々はまだまだ発展途上であった。
近年、オーストラリアで働くと日本の五倍くらい稼げると出稼ぎに行く日本人も多くいたが、その逆である。
この頃に中洲にいた出稼ぎ外国人の大半は、フィリピン人であった。そして彼女達は主にヘルプ要員として扱われていた。
彼女は砂月にとても優しかった。
「喉は乾いてない?ダイジョウブ?」
色々と気にかけてくれる。
「はい。大丈夫です。」
砂月はもう敬語を使う。一緒に時間を過ごしている中で、彼女が砂月に尋ねる。
「私のこと、怖くない?」
砂月にとって、想像していない質問だった。
「なんで?」
彼女の目を見ながら、びっくりした顔で聞き返す。
「見た目も違うし、言葉も下手。フィリピン人、あんまり見たことないデショ?」
砂月は少し考えて答える。
「最初はちょっとだけ怖かったです。でも他の人よりも優しいし、言葉もちゃんと分かるよ。日本人と一緒だと思います。怖くないです。」
考える時間はあったが、これは砂月の本心だった。
考えていたのは、どうして自分が怖いと感じなくなったのかを彼女にどう説明したらいいのかということだった。
早い段階で、自然に恐怖はなくなっていた。
それは砂月自身も意識をしないうちになくなったので、「なぜ」を言葉にするには時間がかかったのだった。
そしてそれを考えれば考えるほど、日本人と区別することの方が不自然だという結論に至った。
「ホントに?」
心なしか、彼女の目が潤んで見える。
その表情からは、これまでたくさんの苦労があったことが垣間見える。
実際、フィリピン人というだけで浴びせられたひどい言葉や、ひどい扱いがその表情の裏にはあった。
「うん、ほんとうに。」
砂月は笑顔で彼女を見る。砂月の笑顔は屈託がない。
「ありがとう、砂月ちゃん。」
彼女は嬉しそうに感謝を伝えるとともに、砂月をきつく抱きしめる。
砂月も驚くが、素直に腕の中に納まる。
彼女の体温が砂月に伝わる。
(お姉さん、あったかい。うん。一緒。なにも変わらない。)
砂月は確信する。
それだけそのぬくもりは、優しいぬくもりだった。
彼女は日本に来て、まだ二か月ほどだった。
ほとんど日本語が話せない状態で入国し、仕事をしながら必死に日本語を勉強していた。
国際電話の料金はまだまだ高額で、とても電話を出来る状況ではない。
当然まだインターネットもない。
母国に帰る費用も莫大なので最低一年、興行ビザが延長できれば更に長い期間日本に滞在するつもりだった。
知り合いもおらず、言葉も通じにくい国で家族のために働く彼女はどれだけ心細かったことだろう。
そしてまだ日本国内に外国人がそれほどいない時代である。
外国人への風当たりはきつかった。
それは彼女の、砂月に対する質問からも明らかだった。
それから二人は色々な話をした。
フィリピンの場所から始まり、母国には八人の兄弟がいること、食べ物が違うこと、フィリピンの海がきれいなことなども話した。
家族の話をする時に、それとなく父親の話をしないようにしていたのは彼女の優しさだったのだろう。
この経験は砂月の中で、外国人と日本人はなにも区別する必要はないという感覚を芽生えさせた。
