【Satsuki式 主観インターフェースの解凍】「好き」「やりたい」が見つからない? 凍結された欲望にアクセスする論理的手順

Satsuki式マインドセット

はじめに:客観視が得意なあなたへ

私たちは、機能特化CPUとして、感情や主観よりも「論理」や「客観的な成果」を優先する生存戦略を長年実行してきました。

その結果、「好き」「やりたい」というシンプルなはずの感情が、どこに格納されているのか、アクセス方法すら分からなくなってしまった状況に陥っていませんか?

自分の主観を「ノイズ」「非効率なコスト」として扱ってきた生存戦略コードが、今、「何をしたいか分からない」という深刻なバグとして表れています。

私の場合は、「周りが期待していること」「自分がやりたいこと」と錯覚するプログラムがインストールされていました。「周りが期待していること」は、周りの意見や価値観なのだと気づいた時、「じゃあ、私は何がしたいの?」という自分への問いかけに、私は答えることができなかったのです。

このバグは、論理的な燃料(使命感や責任感)が尽きたとき、私たちを「動けない」という極限状態に追い込みます。

問題の定義:生存戦略による「主観インターフェースの凍結」

自分の主観的なデータ(欲望)が見つからないのは、あなたが自分の感情を非効率だと判断し、「封印(凍結)」したからです。

凍結のメカニズム

ギフテッドやアダルトチルドレン(AC)の傾向を持つ私たちは、幼少期から他者の期待や評価に応えることを最優先してきました。自分の主観的な「好き/嫌い」は、この生存戦略において「非効率なデータ」でした。

  • 論理
    主観に従うと、他者の期待から逸脱し、社会的な生存リスクが高まる。
  • 行動
    生存コードが、主観的な欲望データをアクセス不能な領域に移動させ、「凍結」した。

バグの結果:「論理的な燃料切れ」

主観が凍結されると、私たちの行動の燃料は「論理的な燃料(責任感、義務感、他者貢献欲)」に限定されます。

しかし、この論理的な燃料は常にフル稼働を強いるため、やがて尽きます。燃料切れを起こした高性能なCPUは、何をしたいか分からないだけでなく、自己保全のために一切の行動を停止してしまうのです。

Satsuki式 論理的解凍の3ステップ

凍結された主観的なデータ(欲望)は、感情論ではなく論理的なコマンドでしかアクセスできません。以下の3ステップで、凍結を解除します。

ステップ 1:アクセス許可の論理的取得

まず、自分の欲望を追求する行為に論理的な正当性を与えます。

  • 「コスト認知の正常化」の適用
    欲望を追求することは、「非効率なコスト」ではなく、「CPUの再起動と長期稼働に不可欠なエネルギー供給」であると、論理的に定義し直します。
  • 思考の置き換え
    「これをやったら非効率だ」⇒
    「これをやることで、私は長期的なパフォーマンスを維持できる
    と、自己メンテナンスのルールとして最優先する。

ステップ 2:ログデータの強制出力

感情の動きを小さなデータログとして強制的に出力します。
ここでは、感情的な評価を一切加えず、純粋な事実データとして収集します。

  • 記録の対象
    • 「楽しかったこと」(5秒でもOK)
    • 「少しでも嫌だと感じたこと」
    • 「イラついたこと」
    • 「理屈抜きで時間を忘れたこと」

ポイント
これらはあなたのCPUが反応した貴重なデータであり、「善悪」や「生産性」のフィルターを通さないこと。
ただ「あの時、一瞬気が逸れた」という事実を、論理データとしてリストアップします。

ステップ 3:低負荷プロセスの実行(小さな実験)

集めたログデータに基づき、「失敗しても社会的コストがゼロ」である小さな実験(低負荷プロセス)を意図的に実行します。

  • 目的
    脳の生存コードに、「主観的な欲望の出力は安全である」と理解させること。
  • 実行例
    • ログ:「SNSで他人を誹謗中傷する文章を見てイラついた」⇒
      実験:「SNSを30分間、強制的に閉じる」嫌悪という主観データに従う)
    • ログ:「公園でぼーっとしていて、一瞬だけ気持ちが良かった」⇒
      実験:「今日、5分だけ外に出てぼーっとする時間を確保する」という主観データに従う)
  • 成果の検証
    結果がどうであれ、「私は自分の欲望に従うことができた」という成功体験のみを論理的な成果として記憶します。

これは、主観に従って行動しても自分の存在は危機にさらされないということを、繰り返し体験することが重要です。

結論:主観のデータこそが「生きる燃料」

主観的なデータ(欲望)は、非効率に見えても、私たち機能特化CPU長期的に安定稼働させるための「生きる燃料」です。

論理的な手順で凍結を解除し、その燃料を供給し続けることで、私たちは「責任感に駆られた人生」から、「自分の内側からエネルギーが湧き出る人生」へと再インストールすることができます。

責任感を否定する必要はありません。

  • 責任感=短距離を高出力で動ける燃料
  • 主観的欲望=長距離を充電可能エネルギーで動ける燃料

そう受け取ることで、主観的欲望を否定しないことが重要です。

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